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独り言



■答えの無い奥深い表現の世界では

譲れない独自の信念も有れば、

憧れや無いものねだりもある。

何の為に作品を描き続けるのか、

その目的も人に依って違ったりもする。

だから誰の何が本物なのかは正直なところ私にもよく判らない。

そんな自分が絵の描き方などを人様に指導する・・・

考えたら無責任な話しかもしれない。




雪かきの図




【2019/02/19 21:43】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
腑に落ちる言葉


■昔、ある人に(故人)

『あんたもわしも同じ人間で、能力にはそれ程の差はない』と言われた。

その人はアートの世界とは全く無縁だった。

戦時中は海軍士官となり数千tクラスの輸送船の艦長も務めた。

戦後は某〇〇貿易商社の経理部長を務め

退職後は写真が趣味ということから親しくして頂いた。

海軍士官の時に死に直面したことや

金の問題でヤクザと対で渡り合ったことなど

波乱万丈の話しを色々と伺った。

その中で聞いた幾つかの言葉が蘇る。


灯り

『その代わりな人の何倍も努力した。寝る間も惜しんで働いた』

勿論時代が違うので、今も同じ事が出来ないこともある。

しかし、生まれながら備わる能力にはさほど個人差は無くて

差が出るのは、その後の生き方(努力)次第

ああだこうだと言い訳をしてもなにも始まらない。

『最初から諦めてたら負けやで』

私には絵の世界の直接の師はいないが

折に触れて思い出す言葉があることは幸せなことだと思う。




【2019/01/20 22:40】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
歳を重ねる意味


■以前にも別のどこかで書いた記憶があるが

長い事この世界で生きていると

それに纏わっての様々な人との出会いがあるものだ。

私がまだ本格的に絵を描き出して間もない頃

ある建設会社の社長夫人から

何枚か描いたものを観たいと人伝に聞いた。

そこで勇んだ私は自信品を持って訪ねた。

見るからに豪勢なマンションの一室に通され

暫く絵を見ながら絵描きになりたい理由や身の上なども聞いて

そしておもむろに

『この程度なら高校生でも描けるね』と言った。

私の自信が音立てて崩れた瞬間だった。

数日経って私の元に一つの小包が届いた。

あの憎たらしい社長夫人からのもので

開けてみると高級洋酒と一通の手紙が添えてあった。

『あなたはまだまだ若い。あまり親に心配を掛けず

これからも頑張ってよい絵描きさんになってください』と

綺麗な文字で書かれてあった。


手紙

人は誰でも当たり障りなく褒めることはできても

敢えて厳しいことは言い難いものだ。

しかし、相手に思いを伝えたい真心さえ有れば

その真意は必ず相手にも伝わるものだ。

あの時お世辞にでも褒めて貰えて

お情けで一点でも絵を買ってもらったとしたら・・・

今の私は無かったかもしれない。


要らぬ歳は取りながらでも、歳月は重ね合わされて

その間に出逢った人々から得たものも多い。

そのひとつひとつれが歳と共に走馬燈の様に蘇る。

いわばそれが私自身の財産だと思っている。

事に依れば忘れてしまうような些細なことでも

それをどう受け止めるかは自由である。

だがどうせなら何等かの糧にしなければ

歳を重ねる意味が軽すぎてしまう。






【2019/01/18 22:40】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
好みの違い


■一口に麺類といっても

蕎麦、うどんから始まりラーメン、素麺、スパゲッティーetcと色々ある。

そして食する側がそれぞれに拘りだすと好みが別れる。

当然ながら作るその道の匠となれば

万事に半端なく負けじと研究するだろう。

そこには伝統も有れば、斬新な発想で新たなものが生まれたりする。

絵画(芸術)の表現も結局は同じで

理屈を幾ら並べても平たく云えば

送り手も受け手も好みと時代が違うだけで

上位や序列などあまり意味がない。

カップラーメンが一番好きだという人が居ても良い。

奥深いその道の味を極めようするのも自由なら

何を食べたいかを決めるのも客の自由である。

時代をさかのぼれば『そんな表現は邪道だ!』と批判されたことが

後の世では主流となることも珍しくない。

花と華 (2)

おかしな譬えになってしまったが

私もかれこれ40年前(たまたま)透明水彩画を我流で描き始めたが

いまだに難しくて苦労の連続。

もし違う仕事に手を付けていたとしたら

やっぱり同じことを言っているだろうと思う。

何を食べようかと迷っている人に

自分の造るうどんは世界一だと自負するのは自由である。

しかし既に他店のうどんを食べている人に向かって

本物のうどんはそんなものではないと言うのはいささか僭越。

目から鱗で『そうなんだ!』ともし何かひとつでも納得が得られて

別の麺類を食してみるのもそれはそれで客の判断。

我々描き手(作家)は己が持ち前の作品を

精一杯に描き提供するのが本分であり、それ以上でも以下でもない。

天性我流とはそういうものではないだろうか。




強調文
【2019/01/14 22:40】 コンドル流水彩画考 | トラックバック(-) | コメント(0) |
二割減とは



■一点の狂いも無い完璧な作品など不可能ある。

敢えて個人的に言うなら、

余りに完璧過ぎると現実離れして、逆に共感が薄れるような気がして

凄いなあー、上手いなあーとしか言えない。

もし作品の鑑賞を『作品を読む』こととするなら、

読者が個々に読んで味わう余裕が欲しいほしい。

絵を描く上で一番難しいのは

この鑑賞者に想像や共感を呼び起こしてもらうことだと私は思っている。

対象を単に忠実に写し取っただけの様な作品には

どうしてもイメージの広がりに物足りなさを感じてしまうのである。


北の空 (2)


例えば、料理人は素材から吟味して調理をする。

そして客の前に差し出す。

人の味覚はそれぞれでも、オリジナルで工夫のあるものは

食しても味わい方にも広がりがあって楽しい。

絵も同じで、作品を鑑賞者に提供して何かを感じてもらいたい。

その為に『今度はこれをどのようにみせるか』それを日夜工夫をして

不特定のギャラリーに観て貰うのである。

当然それは一律同じ評価にならない。


禅問答みたいで恐縮だが

我々絵を描く者は、自分の思いを如何に表現するかに尽きると思う。

それは遥か万里の道程ほど遠いかもしれないのに。。。

言葉で表現出来ないものを滲み出そうとするのである。

無意識か意図的なのかは別として、

それを忘れると絵を描く意味さえもなくなる。

絵はけっして言葉や理屈で描く訳ではないが、

言葉にしなければ、自分の目指す完璧な高みへも到達できないと私は思う。




【2019/01/13 22:40】 コンドル流水彩画考 | トラックバック(-) | コメント(0) |
元気ありがとう
 

■我が家の11歳の愛犬『元気』が

顔の左に出来た悪性の皮膚癌の為

2018年12月7日午前8時31分

家族の見守る中永久の別れに旅立った。

獣医と相談のうえ年齢的なリスクを考え延命治療はせず自宅で見守ることに決めた。

腫瘍の進行は予想以上に早くリンパ線からみるみる全身にも転移し、

相当な苦しさがの中を元気は必死で耐えながらも余命を全うしょうとした。

その姿はまさしく王者そのもので、

最後は自分の意志で自分の命の幕を下ろした様な立派な姿だった。

我が家には過ぎた名犬だった。

悔しさや寂しさは繰り返し押し寄せてはくるが、

飼い主としての最後の責任として元気を見送ることだった。

12月9日火葬場(霊園)で小さな遺骨となった元気は

住み慣れた我が家に再び帰って眠ている。

img_0_m.jpg

函館からやって来て11年間の思い出は尽きず

暫くはそんな楽しかった日々を家族で思い出しながら過ごしたい。

元気本当にありがとう。



【2018/12/13 09:22】 未分類 | トラックバック(-) | コメント(0) |
第36回小林修一透明水彩画展


綺麗過ぎる絵は、感心はすれども感動は薄いと云い。

どうだ凄いだろう!?とさも言いたげな絵は気持ちが引くと言う。

個人の好みとは勝手なものだと思う。

立場を変えて今度は自分が描く側になるっても

やっぱりそんな風には観られたくはないが

最後は下駄を預けてまな板に乗るしかない。

個展とはそんなものだ。

『先生の表現は究極に難しい』とよく云われる。

きっとそうなのかもしれない。

難しいという表現は便利で、なんとでも解釈できる。

『初めて観る水彩画です』も同様に

観る人の反応(表現)は様々なので、よほど慎重、冷静に聞かなければならない。

それが自分にとっての最も厳しい試練の場ともなる。

私にとって個展とはそういうものもので

けっして楽しいお祭りとはならない。


★花と実


_______________________________

会場1 (2)


自撮


今回も何とかギリギリで準備が整いました。

明日から毎日出勤で会場に通うことになりますが

この間コンドルは絵描きに化けて頑張ります(^^;





【2018/11/05 23:55】 最近の絵 | トラックバック(-) | コメント(0) |
青春の尻尾

 
神田川/南こうせつ&かぐや姫


70~80年代、昭和の時代が全盛期の頃

それまでの激動していた社会も少し落ち着きを取り戻し

若者達の間では静かに聞かせるフオークが流行りました。

私も安アパートの一室で譜面も読めないくせに

指にマメをこしらえながら弾いていたのが懐かしい。





若者達の鋭い社会批判の目が

人と人や自分自身の内面に向ける様になった現れでしょうか。

携帯もスマホもなにも無かった時代だったからでしょうか。

毎日アルバイトに明け暮れしていた私自身の中にも

本気で絵描きになろうとする意識が徐々に膨らんで

この歌の歌詞の様に漠然とながら

夢だけを当てもなく追い求める始まりだったような気がします。

懐かしいと云うよりも

こんな時代にどこか共感の出来る人は

きっと今も心の隅に『青春の尻尾』持ち続けている人かも。

それにしてもいい曲です。



【Read More】
【2018/08/29 10:00】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
柳の下のドジョウ


■柳の下にドジョウが二匹

一度成功すると、味をしめてまた同じように

獲物を獲りたいと誰でも思うものだ。

しかし安全策を取るよりもそこは駄目元でも

新たな『どじょう』を探しに出掛けたい。
葡萄2 (2)
欲は人一倍有っても勇気がないために

つい安易な手段を選んでしまう。

殻は作るよりも破る方が難しいということか。

『新たな創造は既存を壊すことから始まる』という

言葉を残した有名な画家のことを思い出す。

闘いも守りの姿勢では、やがては敗北する。

果敢に攻めてこそ勝機が見つかると云う。

何事も方程式はみな同じなのでである。





【2018/08/10 09:56】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
溺れる


■古くからの言葉に
何かに夢中になり過ぎると自滅するという譬えで
酒に溺れる、博打に溺れる、果ては女に溺れる等
この溺れるという意味は
人間は冷静さを失うほど物事に没頭してしまうと
みさかえが無くなって、ことに依れば身を亡ぼすという意味だ。
更に細かく考えると
物事に熱中すればよといわけではなく
やればやるだけ力が付くこともあるが
麗羅否な判断が出来なくなる危険な状態にもなる。
自分でも分らなくなって暴走してしまう前に
自分でセーブする必要があると思う。
まさに水に溺れるの如くで、何事も溺れてしまうと命取りになる。

なんでこんな属っぽいことをと云うのか
実は絵を描く者にも同じことが当てはまると思うからだ。
仕事に自信を持つことは大事でもその意識の中には常に
夢中になり過ぎて我を忘れない
ことも大事なような気がする。
立て板に水を流すではないが
余りに慣れ過ぎると、客観視出来ないで自分に酔ってしまうと
それは作家にとっては致命的かもしれない。
もちろん絵を描いていて溺れて死ぬことはないし
誰にも迷惑をかけることもない。
だがそんな状態になっていても周囲の誰も忠告はしてくれない。
逆にそれを褒め称えられたりするとお終いである。
機嫌よく泳いでいる者に
『アンタは溺れかけてている』などとは言い難い。
言われた方もカチンとくるだろう。
残念ながらそんな人間関係は、よほどでなければ築けない。
となれば頼れるのは自分の意志だけ。
ところが他人のことは判っても、いざ自分のこととなると判らないもの。
これでいいのか、いや何かがおかしい等々と
もし内なる声が聞こえたとしても、打ち消したい思いも働いたりもする。
自惚れを厳しく排して、自問自答しなければならないのに
溺れてしまうとそれが出来なくなるのだ。
自信がなければ良い仕事は出来ない。
しかし、それが講じて己惚れが先行すると危ない。
こんな当たり前のことが、ようやく私にも最近少し解りかけてきた。
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それはそれとして
好きな事でもし溺れるのならそれも本望だという声も・・・
確かに何時も覚めた目でいるよりは
馬鹿を承知でとことん行くのもある意味で正解だったりもする。
我を忘れるほど夢中になれること自体が幸せで
それが元で自滅したとしても、それはそれで本望かもしれない。
だから一概にはどうこう言えないことで
結局最後は本人次第ということだが。

私は自由に生きたいと思う絵描きではあるがが
かといって自分さえ満足すればよいというわけには行かないし
無茶なことも出来ない。
絵を描くことはその最たるもので、制約やら禁じ手やらも多く
その都度冷静にコントロール(判断)をしながらの業である。
しかし、こんな私も我を忘れるほど
自由に描きたいと思うこともあるが
結局は『自由ほど最も不自由なものもない』と落ち着く。




【2018/07/04 23:59】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
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透明水彩画のブログです。
絵を描くことは感動を見つけ出すこと。その時々に出会った想いを備志録的に綴ります。




■変なHNですがネットを飛び回るには便利な南米の鳥です(笑) 観掛けはこんな姿でも、いたって小心者です。 気まぐれな更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。

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