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花筏(はないかだ)
 

■生憎の写生会は雨

小雨降る春の名残の花筏


枚岡神社花筏


今年天候の加減で例年よりも長く桜が楽めました。

誰が名付けたのか花筏・・・

散っても尚、水辺にも咲きます。

こうして毎年咲く桜を

アト何回眺めることができるのか判りませんが

せめてこうして絵に描いておけば

薄れゆく記憶にも残せると思う歳になりました。





【2019/04/16 11:21】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
新元号
 
新元号は令和

2019年4月1日平成から『令和』へと元号が改定され

31年間の平成の時代が終わった。





いろいろとあった平成の31年だが過ぎてしまえば早かった。





【2019/04/01 10:10】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
ある生徒さんの話し
  

■6、7年前に知人の紹介で我が教室に入会した男性がいる。

今まで絵など子供の頃から描いたことがないと言うその人に

取りあえず習うより慣れることなので

『まづ1000枚描いてみましょうか』と私が言うと

『ハイ判りました描いてみます』と即答した。

以来100~200、300~500枚と描き続けた。

やがてある時期から色も構図も見違えるほど上達をした。

言われるまま素直に実践するこの人は

将来きっと上達するだろうと私は密かに確信していた。

事実、絵など無縁だったその人は

そこそこ知られた公募展に(今年)入選を果たした。

(私が勧めた訳でもなく本人の意思でこっそりと)

公募展に出すこと云々ではない。

絵は描けば描いた分だけ上達するのである。

『そんな事言われても無理だ』とか『あの人は特別だから』

そんな言葉が先に口に出る人はその時点で既に上達は望めない。

言われた後は自力で進んでいくからこそ力が付くのである。

稚内ノサップ岬


口幅ったいことを言うなら・・・

指導者の仕事は的確な方向を指し示すことであって、

個々に手取り足取りして同じ絵を描かせる事ではない。

この生徒の描く水彩画は私とは全く違うけれどもそれでいい。

勿論門下の一人なので、誰の目にも私の影響を受けているのも確かだが

強いて自分の個性を無くしてまで、師匠に似せる必要はないと私は思う。



【2019/03/31 23:28】 コンドル流水彩画考 | トラックバック(-) | コメント(0) |
ニニ ロッソ 夜空のトランペット




   夜空のトランペット ニニ ロッソ





青春時代によく聴いた曲だった。

私は音楽のことなど全く判らないが

トランペットという楽器ひとつで

これほどまでに情感の籠った演奏の出来る奏者の感性に

若き日の私は素直に感動した。




【2019/03/31 22:12】 私の好きな曲 | トラックバック(-) | コメント(0) |
蛍の光


蛍の光


 



別れの代名詞の様な

特に様々な卒業の思い出とも重なる曲だ。

学校ばかりではない

物事にはやがて卒業の時を迎えなければならない。

それは、新たなステージへの出発を意味する。





【2019/03/28 18:01】 私の好きな曲 | トラックバック(-) | コメント(0) |
絵描きの呟き
 

■私は絵描きであっても『絵の教え屋』ではない。

それは作家としての領域を保ちたい為である。

つまり、教えることと自分ひとりの仕事とは完全に立て分けて

生徒達と一緒に自分も楽しんでしまうことはない。

勿論ボランティアではないので、指導には全力で取り組み妥協はしない。

見せるせる為のデモもやらないし、添削等で画風の押しつけもしない。

それはある意味では指導者として失格で、矛盾するようにも思われるかもしれない。

私は元から教え屋のつもりではないので、知識や経験、

或いは技術の切り売りのようなこともしたくない。


世間にはどこをどんな道筋でプロになったのかよく分からない沢山の先生が居て

それぞれの個性で指導者となっている。

当然ながら、それぞれの立ち位置(スタンス)が何処の何に置くのかによっては

その全ての振る舞いが変わってくる。

たとえ外見は同じ様でも、微妙な違いが現れることを

世間(人間)は冷静にその本質に気付くものだ。

見せ掛けの名誉や、金儲けに血道をあげる者は、

所詮そんな匂いのする作品を描くようにもなる。

今のご時世ではそれも無理からぬ処世術かもしれないが

世渡りの不器用な絵描きはとても教え屋さんには成れないのである。

IMG_0283足跡


大きな声では言えないが・・・

早い話が絵なんて誰かに教わって上手くなるようなものではなく、

またプロの画家にでも成るのならともかく、

そうではなくて人生の余暇を自分なりに楽しみたいのなら

そんなに必死になつて上手くなる必要もない。


中には連日の凄まじいレッスンや、高額の受講料にも耐えながら

黙々と修行に励む人を見掛けるけれども

私のような我儘な絵描きはたたただ感心するばかりなのである。






【2019/02/28 10:23】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
独り言



■答えの無い奥深い表現の世界では

譲れない独自の信念も有れば、

憧れや無いものねだりもある。

何の為に作品を描き続けるのか、

その目的も人に依って違ったりもする。

だから誰の何が本物なのかは正直なところ私にもよく判らない。

そんな自分が絵の描き方などを人様に指導する・・・

考えたら無責任な話しかもしれない。




雪かきの図




【2019/02/19 21:43】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
腑に落ちる言葉


■昔、ある人に(故人)

『あんたもわしも同じ人間で、能力にはそれ程の差はない』と言われた。

その人はアートの世界とは全く無縁だった。

戦時中は海軍士官となり数千tクラスの輸送船の艦長も務めた。

戦後は某〇〇貿易商社の経理部長を務め

退職後は写真が趣味ということから親しくして頂いた。

海軍士官の時に死に直面したことや

金の問題でヤクザと対で渡り合ったことなど

波乱万丈の話しを色々と伺った。

その中で聞いた幾つかの言葉が蘇る。


灯り

『その代わりな人の何倍も努力した。寝る間も惜しんで働いた』

勿論時代が違うので、今も同じ事が出来ないこともある。

しかし、生まれながら備わる能力にはさほど個人差は無くて

差が出るのは、その後の生き方(努力)次第

ああだこうだと言い訳をしてもなにも始まらない。

『最初から諦めてたら負けやで』

私には絵の世界の直接の師はいないが

折に触れて思い出す言葉があることは幸せなことだと思う。




【2019/01/20 22:40】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
歳を重ねる意味


■以前にも別のどこかで書いた記憶があるが

長い事この世界で生きていると

それに纏わっての様々な人との出会いがあるものだ。

私がまだ本格的に絵を描き出して間もない頃

ある建設会社の社長夫人から

何枚か描いたものを観たいと人伝に聞いた。

そこで勇んだ私は自信品を持って訪ねた。

見るからに豪勢なマンションの一室に通され

暫く絵を見ながら絵描きになりたい理由や身の上なども聞いて

そしておもむろに

『この程度なら高校生でも描けるね』と言った。

私の自信が音立てて崩れた瞬間だった。

数日経って私の元に一つの小包が届いた。

あの憎たらしい社長夫人からのもので

開けてみると高級洋酒と一通の手紙が添えてあった。

『あなたはまだまだ若い。あまり親に心配を掛けず

これからも頑張ってよい絵描きさんになってください』と

綺麗な文字で書かれてあった。


手紙

人は誰でも当たり障りなく褒めることはできても

敢えて厳しいことは言い難いものだ。

しかし、相手に思いを伝えたい真心さえ有れば

その真意は必ず相手にも伝わるものだ。

あの時お世辞にでも褒めて貰えて

お情けで一点でも絵を買ってもらったとしたら・・・

今の私は無かったかもしれない。


要らぬ歳は取りながらでも、歳月は重ね合わされて

その間に出逢った人々から得たものも多い。

そのひとつひとつれが歳と共に走馬燈の様に蘇る。

いわばそれが私自身の財産だと思っている。

事に依れば忘れてしまうような些細なことでも

それをどう受け止めるかは自由である。

だがどうせなら何等かの糧にしなければ

歳を重ねる意味が軽すぎてしまう。






【2019/01/18 22:40】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
好みの違い


■一口に麺類といっても

蕎麦、うどんから始まりラーメン、素麺、スパゲッティーetcと色々ある。

そして食する側がそれぞれに拘りだすと好みが別れる。

当然ながら作るその道の匠となれば

万事に半端なく負けじと研究するだろう。

そこには伝統も有れば、斬新な発想で新たなものが生まれたりする。

絵画(芸術)の表現も結局は同じで

理屈を幾ら並べても平たく云えば

送り手も受け手も好みと時代が違うだけで

上位や序列などあまり意味がない。

カップラーメンが一番好きだという人が居ても良い。

奥深いその道の味を極めようするのも自由なら

何を食べたいかを決めるのも客の自由である。

時代をさかのぼれば『そんな表現は邪道だ!』と批判されたことが

後の世では主流となることも珍しくない。

花と華 (2)

おかしな譬えになってしまったが

私もかれこれ40年前(たまたま)透明水彩画を我流で描き始めたが

いまだに難しくて苦労の連続。

もし違う仕事に手を付けていたとしたら

やっぱり同じことを言っているだろうと思う。

何を食べようかと迷っている人に

自分の造るうどんは世界一だと自負するのは自由である。

しかし既に他店のうどんを食べている人に向かって

本物のうどんはそんなものではないと言うのはいささか僭越。

目から鱗で『そうなんだ!』ともし何かひとつでも納得が得られて

別の麺類を食してみるのもそれはそれで客の判断。

我々描き手(作家)は己が持ち前の作品を

精一杯に描き提供するのが本分であり、それ以上でも以下でもない。

天性我流とはそういうものではないだろうか。




強調文
【2019/01/14 22:40】 コンドル流水彩画考 | トラックバック(-) | コメント(0) |
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透明水彩画のブログです。
絵を描くことは感動を見つけ出すこと。その時々に出会った想いを備志録的に綴ります。




■変なHNですがネットを飛び回るには便利な南米の鳥です(笑) 観掛けはこんな姿でも、いたって小心者です。 気まぐれな更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。

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