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青春の尻尾

 
神田川/南こうせつ&かぐや姫


70~80年代、昭和の時代が全盛期の頃

それまでの激動していた社会も少し落ち着きを取り戻し

若者達の間では静かに聞かせるフオークが流行りました。

私も安アパートの一室で譜面も読めないくせに

指にマメをこしらえながら弾いていたのが懐かしい。





若者達の鋭い社会批判の目が

人と人や自分自身の内面に向ける様になった現れでしょうか。

携帯もスマホもなにも無かった時代だったからでしょうか。

毎日アルバイトに明け暮れしていた私自身の中にも

本気で絵描きになろうとする意識が徐々に膨らんで

この歌の歌詞の様に漠然とながら

夢だけを当てもなく追い求める始まりだったような気がします。

懐かしいと云うよりも

こんな時代にどこか共感の出来る人は

きっと今も心の隅に『青春の尻尾』持ち続けている人かも。

それにしてもいい曲です。



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【2018/08/29 10:00】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
柳の下のドジョウ


■柳の下にドジョウが二匹

一度成功すると、味をしめてまた同じように

獲物を獲りたいと誰でも思うものだ。

しかし安全策を取るよりもそこは駄目元でも

新たな『どじょう』を探しに出掛けたい。
葡萄2 (2)
欲は人一倍有っても勇気がないために

つい安易な手段を選んでしまう。

殻は作るよりも破る方が難しいということか。

『新たな創造は既存を壊すことから始まる』という

言葉を残した有名な画家のことを思い出す。

闘いも守りの姿勢では、やがては敗北する。

果敢に攻めてこそ勝機が見つかると云う。

何事も方程式はみな同じなのでである。





【2018/08/10 09:56】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
溺れる


■古くからの言葉に
何かに夢中になり過ぎると自滅するという譬えで
酒に溺れる、博打に溺れる、果ては女に溺れる等
この溺れるという意味は
人間は冷静さを失うほど物事に没頭してしまうと
みさかえが無くなって、ことに依れば身を亡ぼすという意味だ。
更に細かく考えると
物事に熱中すればよといわけではなく
やればやるだけ力が付くこともあるが
麗羅否な判断が出来なくなる危険な状態にもなる。
自分でも分らなくなって暴走してしまう前に
自分でセーブする必要があると思う。
まさに水に溺れるの如くで、何事も溺れてしまうと命取りになる。

なんでこんな属っぽいことをと云うのか
実は絵を描く者にも同じことが当てはまると思うからだ。
仕事に自信を持つことは大事でもその意識の中には常に
夢中になり過ぎて我を忘れない
ことも大事なような気がする。
立て板に水を流すではないが
余りに慣れ過ぎると、客観視出来ないで自分に酔ってしまうと
それは作家にとっては致命的かもしれない。
もちろん絵を描いていて溺れて死ぬことはないし
誰にも迷惑をかけることもない。
だがそんな状態になっていても周囲の誰も忠告はしてくれない。
逆にそれを褒め称えられたりするとお終いである。
機嫌よく泳いでいる者に
『アンタは溺れかけてている』などとは言い難い。
言われた方もカチンとくるだろう。
残念ながらそんな人間関係は、よほどでなければ築けない。
となれば頼れるのは自分の意志だけ。
ところが他人のことは判っても、いざ自分のこととなると判らないもの。
これでいいのか、いや何かがおかしい等々と
もし内なる声が聞こえたとしても、打ち消したい思いも働いたりもする。
自惚れを厳しく排して、自問自答しなければならないのに
溺れてしまうとそれが出来なくなるのだ。
自信がなければ良い仕事は出来ない。
しかし、それが講じて己惚れが先行すると危ない。
こんな当たり前のことが、ようやく私にも最近少し解りかけてきた。
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それはそれとして
好きな事でもし溺れるのならそれも本望だという声も・・・
確かに何時も覚めた目でいるよりは
馬鹿を承知でとことん行くのもある意味で正解だったりもする。
我を忘れるほど夢中になれること自体が幸せで
それが元で自滅したとしても、それはそれで本望かもしれない。
だから一概にはどうこう言えないことで
結局最後は本人次第ということだが。

私は自由に生きたいと思う絵描きではあるがが
かといって自分さえ満足すればよいというわけには行かないし
無茶なことも出来ない。
絵を描くことはその最たるもので、制約やら禁じ手やらも多く
その都度冷静にコントロール(判断)をしながらの業である。
しかし、こんな私も我を忘れるほど
自由に描きたいと思うこともあるが
結局は『自由ほど最も不自由なものもない』と落ち着く。




【2018/07/04 23:59】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
絵描きの独り言


■私は元々が作品作りは孤独な格闘技だと思っていて

独り黙々と悩みながらの作業であって

その姿(過程)をみせてどうこうするなんて事は考えない。

ハングリー精神とか、内なる情熱の発露などと云う言葉が

今や死語になり、青春や退廃も、夢も希望という言葉も

遠い空事の様に聞こえてしまう時代になってしまった。

学校の裏庭にあった焼却炉から、燃やす前の短くなった鉛筆

それを拾ってきてわら半紙に絵を描いていた様な少年は

どうしても今の変化について行けないことが多い。

ジュンブライド

特殊な能力(才能)は認めるものの

芸術は見世物やパフォーマンスとはチョット違う。

驚きの技術を見せて注目させる手法を最近よく見掛ける。

確立された演劇の発祥は大道芸から始まったとするなら

アートもさほど変わらないかもしれないが・・・

世の中が進化して便利になるとその表現方法も

昔では考えられない事が出来てしまうのも時代の流れか。

確かに薄暗いアトリエの一室で、ランプの灯りを頼りに

食うや食わずの貧乏絵描きが絵を描く様な時代ではなくなった。

逆にそんな土壌からは全く新しい発想のアートが出現するのも

不思議なことではないが。。。

目立った一発芸は一時はもてはやされてもすぐに消える。

それが今の世相でも、長い歴史の延長なら

それもまた仕方のないことかもしれないのだが。

失われた自然と同様に、人間本来の性質(精神)も

一度失われると元へは戻せない。

天然のエネルギーより効率の良いと言われ

原子力へと転換された結果、どれほど多くのものが失われたことか。

科学や文化の本来目指すべきは人々の幸福であり、

その理想を忘れたところから、狂いが生じて

やがて徐々に崩壊が始まる。。。

私は名も無い一介の絵描きで、なんの力も無い人間である。

しかしそれでも疑問は疑問として問える自分でありたいと思う。

周囲がどうであれ、自分は自分で不器用でも時代遅れでも構わない。

マイナーを売り物にもしたくないし、他を押し退けてまで前に進みたくも無い。

愚直に自分らしくありたいと思っても

今の時代ではこれも一種の独善的だと言われかねない?





【2018/05/29 08:54】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
人に隠れた深い思い


■古い話で恐縮だが・・・

以前何気なく昔の映像をネットで観ていると

古賀政男のエピソードに出会った。

あのレコード大賞に輝い『柔』の受賞の秘話だった。

この曲を歌ったのは歌手の美空ひばりだが

彼女は古賀門下のひとりで、数あるヒット曲の中でも

特にこの曲が大賞を取ったことで

『初めて先生にご恩返しが出来ました』と語っていた。

そしてその場に居た古賀自身は苦しかった昔を振り返りながら

『亡き母に少しは私も親孝行ができたかなと思います』と

涙ながらに声をつまらせていた。

既に古賀自身も70歳になっていたが

師を思い、親を想う気持ちに勝る情はない。

結果が総てとは言わないが

恩も感謝もそれまでやってきた結果次第で

初めて湧く思いがあるようだ。

歌謡界に共に身を置いて

照日曇る日を繰り返しながら歩んだ

古賀と美空の二人にしか解らない

深い思いがあったのだろうと私は画面を観ながら思った。

襟裳岬スケッチ

今あることが喜べず

報恩感謝のない人生はどこか寂しい。

何故ならそれ自体が、今の自分の姿そのもだら。

勝者でなければ語れない言葉がある。

どの世界、どんな分野であても

それはどうやら紛れもない事実のようだ。

【画/北海道襟裳岬】


【2018/05/09 23:55】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
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透明水彩画のブログです。
絵を描くことは感動を見つけ出すこと。その時々に出会った想いを備志録的に綴ります。




■変なHNですがネットを飛び回るには便利な南米の鳥です(笑) 観掛けはこんな姿でも、いたって小心者です。 気まぐれな更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。

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