次のページ
絵描きの呟き


■自分ひとりだけで絵を描いているのなら

これほど楽しいことはないだろう。

迷うことも、悩むことも

責任や義務も無く、もっと自由に気楽かもしれない。

爆発的なパワーがあるわけでもなく

ただ好きなだけで押し通せる程甘い世界ではない。

それを踏み越えてしまったことに今更悔はないが

毎年こうして個展が刻々と近づいてくると

焦る思いからつい色々な考えが頭を過る。

波

私は無所属で微々たる画歴で他には何もないまま

40年の人生の大半を費やした。

平坦な道程ではなかったが他に選択肢がない以上は

迷いながらも突き進むしかなかった。

しかし、よくよく考えるとそれは作家の宿命のようなもので

もしそれを避けたいのであれば他の道を選ぶしかない。

子供の頃からやりたかった事を

そのまま生業にするのは容易ではないが

進まなければ自分の人生も無かった。

格好よくスマートで余裕の気持ちが持ってないのは、

やっぱり私はこの世界には向いてないのか?

ブログでこんなことを呟いている間に、気が付けば全てが終わっている。

不安やら自信やら。うぬぼれやら謙遜やら

支離滅裂の孤独な格闘技はまだまだ続く。

35回個展まで

あと30日




【2017/10/05 16:25】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
花の顔(はなのかんばせ)

 
■雨の降る中を傘をさして歩く・・・

そんな場面の絵をこの時季にはよく見掛ける。

雨降りの情景は(特に水彩画では靄った路面の)映り込み等が美しい。

それを軒下で雨を避けながらでも描きたくなるものだ。

しかし、雨の中を如何にも同じ道を歩いている様な目線が気になる。

恐らく写真を見ての仕事だとは思うが

写真をただ移すだけで?と素朴な疑問が湧くのである。

私の知るある絵描きさんは

夜の大阪通天閣の近くにある有名なフグ提灯を

それも雨の降る中で濡れながら黙々と描いていたとか。

それを偶然その作家が目撃をして

その姿そのものが、既に一幅の絵の様に感動したと語っていた。

時代背景も当然今とは違うので

絵描きの気質が変わるのも仕方が無いことだが。。。




雨2
また別の作家は

海外取材と称して数千枚の写真を撮り

それを元に作品作りをするという。

フイルム時代と違ってdigitalならそれも充分可能なので

天候にも左右されず、瞬時に捉えるカメラであれば

雨の降る中でもシャッターは押せる。

私は昔には無かった今風の道具類をフルに活用して

作品作りに生かそうとする事を悪いことではなく

むしろ大いに活用すべきだと思っている。

だがしかし、その結果絵描きたる本質が後退するようでは

本末転倒になってしまう。

安易な方向へとに流れようとする誘惑に負けないことが大事で

正にそれこそが「我々が終生闘い続けなければならない」相手なのである。

その結果の勝ち負けも、自分自身が一番よく判るはずなのだ。


『花の顔(かんばせ)』という言葉がある。

今では死語のようになってしまったが

ここでいう顔は単に姿形のことではなく

本来そのものが持つ特性を讃嘆する意味で使われていた。

近頃は顔を『かんばせ』と読むことも、その意味さえも失われたが

花はひとつの譬えに過ぎず

それは別に学生でも主婦でも会社員でもよいのだ。

今ある自分顔に誇りや自信が持てないでようでは

本物として精一杯にこの世界を渡っては行けない。

古臭い時代に合わない理想論だとしても

私はときどき自分自身にも問いかけるのである。

『花の顔はいま如何に?』と。





【2017/09/19 08:55】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
小学生の頃
 

■私の小学校のの恩師が勉強の全く出来ない私に

『〇〇、何でもかんでも出来なくていいから、せめてひとつくらい

誰にも負けない事を身につけろ。

そしたら他のことも勝手に判る様になる』と諭してくれた。

子供の頃から絵ばっかり描いていた私はやがて絵描きになった。

備前伊部焼窯元


当時は意味もよく分からなかったこの言葉が今となって判る。

人の道を踏み外さず、自然の中で絵を描きながら

その絵を介して多くの人と接してきた。

お陰で人の心の機微も掴むようにもなった。

子供の頃から恵まれた環境も、学歴も何もなかったが

曲がりなりにも今私があるのは

恩師のこの教えを実践した結果ではないかと思っている。

既に亡くなられたが、もしもう一度お会い出来るなら

50年かけてようやく見つけることができたことを報告をしたい。

人間には誰にでも幾つかの原点がある。

普段は忘れていても何かの折に思い出して忘れないことだ。

それが今の自分の幸せを証明することだと思う。





【2017/08/31 23:00】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
画廊にもバリァフリーを
 

■以前にある人から聞いた。

私の毎年の個展を愉しみにしている方がいて

『車椅子の為に行けないので、何時もネットのHPで見ています』とのこと。

私は好きで自分勝手に絵を描いているにすぎない。

だがそんな様子を観てくれる方が居るとは

なんと有り難いことかと改めて思った。

同時に数多ある画廊の中では(当時会場はエレベーターの無い2F)

まだバリアフリーでないところが多いことに気付く。


リンドウ

若い頃は、他人の事など眼中になく

他人に思いを馳せる余裕もなく、がむしゃらに突き進んでいた。

見えなかったと言えばそれまでだが

今この歳になってようやく分かりかけてきた。

上手い絵描きや、強い絵描きは幾らでもいる。

生存競争の厳しい世界で生き延びることは甘くはない。

それ故に他人の事など構ってられないこともよく分かる。

だが芸術や文化と雖も、それを共に享受してくれる鑑賞者が有ってのことで

限られた極一部の人達のものではないはずだ。

公設の美術館ばかりではなく、一般の画廊であっても

そんな方々にも優しいバリアフリーが増えることを望みたい。




【2017/08/14 11:57】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
言葉の迷信
 


■我々がよく聞いたり使ったりする言葉に

『説明的』とか『写実的で面白くない』とか

或いは『おおらかで個性的』等々が

なかば定型句のようになっています。

しかし、その言葉の意味するところとなると

案外曖昧で何となく使っているような気がします。

つまりそれは一種の迷信みたいなもので

『芸術は自由な表現だ』と云いながら

古い観念に囚われてしまっていることが多い。

自語相違や矛盾する言動は人間の常で

何時の間にか思い込んでしまっていることもよくあります。

本当の自由な精神とは物事を観念に捕らわれず

その本質に照らしてどうなのかを

自分なりに冷静に見定める姿勢ではないでしょうか。

表現者には信念に似たものも確かに必要ですが

それは自分に合わないものを排除することではなく

理解しょうとする努力することだと思います。

何となく思い込んでしまうと

それが別の部分で足枷になってしまうこともあります。

勇気をもって壊そうとする努力こそが

本来の『自由な精神』ではないかと私は思います。

座る

際立った独創性もない平凡な絵にも

写真の様な写実的な表現にも

破壊的や装飾的な作品も、それぞれの個性であり

もしそれらを目にしたときには

描き手の立場を離れられ一鑑賞者になれるかどうか?

私自身も正直言って自信はありません。

しかし、そんな精神を持ち続けることが

絵を描く者のひとつの条件のような気がするのです。





【2017/07/18 18:18】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
最新コメント

最新記事

月別アーカイブ

カテゴリ

コンドルのプロフィール

コンドル

Author:コンドル
透明水彩画のブログです。
絵を描くことは感動を見つけ出すこと。その時々に出会った想いを備志録的に綴ります。




■変なHNですがネットを飛び回るには便利な南米の鳥です(笑) 観掛けはこんな姿でも、いたって小心者です。 気まぐれな更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる


| ホーム | 次ページ>>