次のページ
教室展忙仲談話

■私の長い教室運営の間には

過去様々な生徒さんと出逢いました。

その中で途中で脳酵素で半身不住になった方がいました。

歩行も困難、筆を持つことさえも出来なくなり教室もやむなく断念。

その後ご本人は懸命なリハビリを続けられて

身体の機能も徐々に回復ご家族のサポートも受けながら

数年振りに再度教室に復帰されました。

とは言っても元の様には筆も思うようには動かず

一、二年は教室でも苦労をされていましたが

五体自由な者でさえ大変なところを

今回の教室展には他の生徒さんと同じように

大小二点の作品に挑戦して立派に描きあげられました。

貫野西瓜

(本人作/西瓜4号)


教室には様々な環境を背負いながら

好きな絵を何とか描きたいという思いの人が集います。

私は余り個人的なそれらの事情に立ち入ることはしませんが

もし絵を描くことが何等かの役に立つのであれば

単に絵の上達ばかりを目的にしなくてもよいと思っています。

今回そんなご本人の目覚ましい回復振りに

病院のリハビリの先生やヘルパーさんが興味を持たれ

会場にまで来られていました。

何よりも、ご本人やご家族の大変嬉しそうだったのが印象に残りました。

私の教室は今後もそんな人達が集まる

アットホームな教室でありたいと願っています。





【2017/07/31 23:55】 コンドル流水彩画考 | トラックバック(-) | コメント(0) |
審美眼


■美しいものを描きたいと思う。

しかし、世の中を見渡しても、そんなに綺麗なものはそれほど無い。

まして瞬間にでも心が震える様な光景とは滅多に出会わない。

ところが、個々の画家たちが描いた作品を観ると

余りの凄さに目が奪われるのは一体何故なのか?

きっと描き手が自分の美意識を通して見た光景を

見た目以上に表現(昇華)しているからではないかと私は思う。

そしてこの能力こそが、描き手自身の『個性の正体』なのだ。

表現された作品もさることながら

それを描いた作家の『審美眼』に感動するのではないだろうか。

幾らあんな風に描きたいと思って真似をしても所詮は別物になる。


DSCN3508.jpg

ならばどうすればよいのか・・・

自分の審美眼を信じて自分なりの対象を探すしかない。

年齢と共に食べ物の好みが変わる様に

興味の対象やものを観る目も変化するかもしれないが

生まれ持っての基本的な部分は

よほどの事が無い限りそんなに死ぬまで大きく変わらない。

それは自分の拙い過去の経験からもわかる。

100%とまではいかずとも、ひたすら歩き続けると

必ず心惹かれる対象に出会えると信じる

実はそれが絵を描くことの自分探しではないだろうか。

こんなものに心惹かれる自分がいたと気づくことが

新たな『絵筆を執らせる原動力』となるのかもしれない。





【2017/07/19 23:59】 コンドル流水彩画考 | トラックバック(-) | コメント(0) |
遊び心も
 

■遊び心もパワーのひとつ。

しかし、遊び過ぎは良くない。

ひとり遊びに付き合ってくれるほど世間はそう甘くない。

節度を保つことも必要かと思う。

22144_20170617101114360.jpg

いくら観られてなんぼの絵描きでも

奇抜な芸や大きさで人目を引くだけなら

動物園のゴリラと変わらない。

但し私はそのコリラにもなれないが・・・。




【2017/06/18 20:07】 コンドル流水彩画考 | トラックバック(-) | コメント(0) |
面白いという意味
 

■この○○は『面白い』という言葉をよく聞くことがある。

これこは一体どういうことなのかと時々思う。

笑いたくなることか?

それとも可笑し気ということなのかな?

もちろん褒め言葉の一つには違いないが

ユニークな表現で他には無いというところまでは何とか解っても、

今一つ曖昧なまま適当に聞いたり使ったりしている。

あの人は面白い人だと言う場合も同様で、

好感が持てなければ言わないだろうし、

もしその反対なら面白く無い人ということになる。

吉本の芸人ならそれも解るが面白いと言われて、

喜ぶのも変な話しだが、こう言われて怒る人はまづ居ないだろう。


オコゼ2


考えてみればこれはとても便利な言葉で

具体的に『素晴らしい』とは言わず

どうにでも取れる言い回しは曖昧で日本語らしいともいえる。

面白いがしかし・・・後に何等かの意味が含まれると

文句なしに100%素晴らしいという意味ではなくなる。

期待は出来るがまだ改善の余地があるという含みや

中身が乏しいという意味が暗に込められている場合もある。

つまり、目を引く様な独創性があったししても

その先きが無ければならない。

もし面白いと言われても

ただ手放しで喜んでいるわけにはいかないのである。

目立つ個性を表に出そうとするピン芸人のように

一発ギャグで終わるならともかく

我々が描いた作品は後々までも残ってしまうと思えば

うかつに面白いだけではすまされないはずである。







【2017/06/17 09:50】 コンドル流水彩画考 | トラックバック(-) | コメント(0) |
空気感とは
 

■絵には幾つもの大事な要素がある。

なかでも『ものの持つ情景』は

形としての物ではなく、その場に漂う空気のことで

絵を描くことは

それを描き手が画面に自分なりの再現を試みることである。

何を見てもその解釈は人それぞれでも

如何にこの見えないものを捉えるかで力量が問われる。

あるがまま、見えたままではまづ絵にならない。

そこには何等かの『霊気』のようなものを具体化しなければならない。

それを我々は共通言語のようにして

第三者に伝えることが出来るかが表現力だと思う。

つまり自己満足の独りよがりでは共通語にはならないのである。

2umars428e8b5f015c2.jpg

例えば、料理人がもし二人いて

用意された食材が同じでも

出来上がる料理は全く別の料理になるだろう。

材料の切り方や調理器具の使い方にはさほどの違いは無い。

あるのは、その食材を使う側の感性の違いである。

更に付け加えるなら

その別々の出来上がった料理をどう食するのか

味覚に合うのか、合わないのか

云わば個々の味覚に対する感性の違いが反映するのである。


絵を描く者はあくまで送信する側であっても

ある時は受信機側になって鑑賞もする場合いもあるので

送受するアンテナが必要となる。

幾ら理屈がどうのこうのあっても

肝心のアンテナが折れていたり錆びついていては役に立たず

感性という周波数が合わないと相手の声も聞き取れない。

紙や絵の具は画材屋に買いに行けば幾らでも手に入る。

技法は習えば習得出来る。

しかし、ものを探し出そうするアンテナや

自分だけの周波数は他から与えては貰えない。

表現の為に必要な道具は独自で自覚、開発する以外にはない。

抽象的な言い回しで解り難いかもしれないが

我々の個々の根幹にあるものは避けられず

それが表出したものを指して

一般的に『空気感』というのではないかと私は解している。






【2017/06/13 10:23】 コンドル流水彩画考 | トラックバック(-) | コメント(0) |
最新コメント

最新記事

月別アーカイブ

カテゴリ

コンドルのプロフィール

コンドル

Author:コンドル
透明水彩画のブログです。
絵を描くことは感動を見つけ出すこと。その時々に出会った想いを備志録的に綴ります。




■変なHNですがネットを飛び回るには便利な南米の鳥です(笑) 観掛けはこんな姿でも、いたって小心者です。 気まぐれな更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる


| ホーム | 次ページ>>