次のページ
後ろ側
 

■自分の背中は直接には見ることが出来ない。

人の背を見て学ぶともよく言う。

名優は背中で台詞を語るとも。

何れにしても後ろ姿というのは大事なのだろうと思う。

33763_m.jpg


背中を背景と置き換えると

絵も確かに背景次第で決まってしまうことがよくある。

私の様な凡人はつい目に見えるものばかりに気を取られてしまうが

しかし、達人ともなると背景もちゃんと有るように描いている。

『有るように』とは描いてなくても存在することだ。

それを今風に言えば空気感という表現になるのだろが

自分でも想像力を働かせながら、それを表現することは難しい。

具体的には描かなくても何かが有ってこちらに語りかけてくる・・・

本当の画力とはそんな部分を指すのではないだろうか。

表に見える(描かれている)色や形はほんの一部分に過ぎず

その背後には無限に広がる世界があるはずで

それを観る者に誘えることを表現力と言う。

足元さえ見えず、何も解らないままの頃には戻れない。





【2017/09/10 23:00】 コンドル流水彩画考 | トラックバック(-) | コメント(0) |
プロとアマ
 

■絵を描く人は今も昔も多い。

それはそれでよいことだとは思うが、

プロの画家と趣味の愛好家とどこで線引きするかは難しい。

近頃は個展を開くことも昔ほど大変ではなくなり

作品に何がしかの値段を付けて販売るのも自由である。

また、自前の教室を開いて月謝を取るのも、

講師に招かれたりするのもまた然りで、

特別な資格や許可を必要とはしない。

『今日から絵描きだ!』と宣言するのも簡単である。

しかし、プロ(専門家)となれば、一事が万事厳しい世界で、

気まぐれも妥協も、或いは日常の生活に於いても

その自覚が求められ、片手間程度の軽い意識では到底務まらない。

そこには好きなことを同じ様にやっていても天地雲泥の違いがある。


反対にあれほどの実力と意識を持ちながら

何故アマチュアなのかと不思議に思う人も居る。

目立たずひっそりと純粋に描き続けられる人も凄いのである。

所詮は他人がとやかく言うべきことではないく

それがご本人のスタンスなのだ。

27-DSC04872.jpg


絵は鉛筆さえ持てると3歳児でも描ける。

しかし、それが作品となれば容易ではない。

誰かに習うことは可能でも、教えるととなると簡単ではない。

たとえ趣味の延長でプロになったとしても、

最終的に問われるのはその人の自覚である。

曖昧なこの世界で自分の立場はどうであれ、

『プロとアマとの違いはこれだ』という何かを

自分なりに持つべきではないかと思う。

もしそれすらなければ『あなたは一体何者ですか?』となる。

嫌でも抜き差しならないものが付いて回っても

一貫して揺ぎ無いもの持たねばならないのは

他のどんな分野も同じではないだろうか。

専門家であろうと、二足の草鞋を履こうと趣味に撤しようと

表現者とすればそれぞれに一切の垣根などは無い。

あるのは『純粋に撤するという精神』だけである。




【2017/09/04 23:59】 コンドル流水彩画考 | トラックバック(-) | コメント(0) |
独り言
 

■世の中には上手すぎる人が沢山いる。

凄すぎてとても人知の技とは思えな人もいる。

それは自分と比べると当然のことだ。

良い作品とは・・・

上手いとか、下手とかを突き抜けた部分にあると思う。

もし自信を持ってそう思えたら、少しは良い作品が描けるかもしれない。

それを決めるのは他人ではなく自分なのである。

IMG_2126.jpg

時には自信をなくして落ちそうになっても

落ちさえしなければ向こうに渡れる。

自信満々の様にみえる人でも内心はきっと同じで

ただそれを人前では口に出さないだけなのだ。



【2017/09/03 23:59】 コンドル流水彩画考 | トラックバック(-) | コメント(0) |
教室展忙仲談話

■私の長い教室運営の間には

過去様々な生徒さんと出逢いました。

その中で途中で脳酵素で半身不住になった方がいました。

歩行も困難、筆を持つことさえも出来なくなり教室もやむなく断念。

その後ご本人は懸命なリハビリを続けられて

身体の機能も徐々に回復ご家族のサポートも受けながら

数年振りに再度教室に復帰されました。

とは言っても元の様には筆も思うようには動かず

一、二年は教室でも苦労をされていましたが

五体自由な者でさえ大変なところを

今回の教室展には他の生徒さんと同じように

大小二点の作品に挑戦して立派に描きあげられました。

貫野西瓜

(本人作/西瓜4号)


教室には様々な環境を背負いながら

好きな絵を何とか描きたいという思いの人が集います。

私は余り個人的なそれらの事情に立ち入ることはしませんが

もし絵を描くことが何等かの役に立つのであれば

単に絵の上達ばかりを目的にしなくてもよいと思っています。

今回そんなご本人の目覚ましい回復振りに

病院のリハビリの先生やヘルパーさんが興味を持たれ

会場にまで来られていました。

何よりも、ご本人やご家族の大変嬉しそうだったのが印象に残りました。

私の教室は今後もそんな人達が集まる

アットホームな教室でありたいと願っています。





【2017/07/31 23:55】 コンドル流水彩画考 | トラックバック(-) | コメント(0) |
審美眼


■美しいものを描きたいと思う。

しかし、世の中を見渡しても、そんなに綺麗なものはそれほど無い。

まして瞬間にでも心が震える様な光景とは滅多に出会わない。

ところが、個々の画家たちが描いた作品を観ると

余りの凄さに目が奪われるのは一体何故なのか?

きっと描き手が自分の美意識を通して見た光景を

見た目以上に表現(昇華)しているからではないかと私は思う。

そしてこの能力こそが、描き手自身の『個性の正体』なのだ。

表現された作品もさることながら

それを描いた作家の『審美眼』に感動するのではないだろうか。

幾らあんな風に描きたいと思って真似をしても所詮は別物になる。


DSCN3508.jpg

ならばどうすればよいのか・・・

自分の審美眼を信じて自分なりの対象を探すしかない。

年齢と共に食べ物の好みが変わる様に

興味の対象やものを観る目も変化するかもしれないが

生まれ持っての基本的な部分は

よほどの事が無い限りそんなに死ぬまで大きく変わらない。

それは自分の拙い過去の経験からもわかる。

100%とまではいかずとも、ひたすら歩き続けると

必ず心惹かれる対象に出会えると信じる

実はそれが絵を描くことの自分探しではないだろうか。

こんなものに心惹かれる自分がいたと気づくことが

新たな『絵筆を執らせる原動力』となるのかもしれない。





【2017/07/19 23:59】 コンドル流水彩画考 | トラックバック(-) | コメント(0) |
最新コメント

最新記事

月別アーカイブ

カテゴリ

コンドルのプロフィール

コンドル

Author:コンドル
透明水彩画のブログです。
絵を描くことは感動を見つけ出すこと。その時々に出会った想いを備志録的に綴ります。




■変なHNですがネットを飛び回るには便利な南米の鳥です(笑) 観掛けはこんな姿でも、いたって小心者です。 気まぐれな更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる


| ホーム | 次ページ>>