冬の旅支度

この時期恒例の雪を求めて旅立つ日がきた。


寒さも歳と共に身に堪えるがこれが仕事でそんなことも言ってはいられない。
背負う荷物は数十キロ。まるで山にでも登る様な格好だ。
現地に着けばひたすら描く対象を求めて歩く。
冬場は特に日暮れが早くて、その日の宿を確保するのも容易ではない。
夏場なら最悪適当な場所をみつけて野宿も可能だが、冬場はそんなことをすると凍死する(笑)
TVの番組などでタレントが一夜の宿を頼み込むというのがあるが、
あれはちゃんと事前の仕込みがあるわけで、地元の人はあれ程親切にはしてくれない。
まして怪しげな絵描きがウロウロしていると警戒をするのは当然。
寒さと孤独に戦いながら鄙びたラーメン屋などで暖をとり、無愛想な観光案内所で
紹介してもらった安宿屋の布団に潜りこむのである。
これが私の何時ものスタイルで、旬の味覚や温泉を横目で見ながらの旅。
なにも好き好んでそんな処へ行かなくてもと云う人もいるが、楽をして絵は描けない。
どの世界の人もそれは同じで、納得と安心に繋がるとなれば多少のことは我慢する。
パレットの中の絵の具が凍ろうと、足元が雪に埋もれようとも気にしない。
絵描きとはそうしたものだと!やせ我慢の見栄を張るのだ(笑)
最近は携帯電話が普及して大抵の場所からでも繋がるので、安全対策の面では随分と心強い。
昔は人里を離れると公衆電話すら無かった(DoCoMo様さま)
こんな私なので日に一度は家族に無事を知らせる連絡だけは入れるようにしている。

砂浜 

さて、今度の取材ではどんな獲物をし止めて持ち帰ることが出来るだろうか…


【2010/01/20 00:38】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(-) |
ハイチ大地震

ハイチ大地震で死者20万人とも…


一瞬にして多くの貴い命を奪い、生き残った人達の人生までも大きく狂わせてしまう災害。
けして他人事ではなく、いつ起こるか分からない天災は避けられないものかもしれないが、
受けた難事は如何にして今度は乗り越えるかが大事だと思う。
遠く離れた異国の惨事ゆえに連日の報道をみてもどうしても他人ごとのように映る。
奇しくも15年前の阪神大震災を思い出すと、映像に写ったハイチの小さな子供たちの姿は同じなのである。
彼等に一日も早く笑顔の日々が戻ることを祈りたい。国情からみるとそれは遠い道程かもしれないが、
人間の底知れぬ逞しさは彼の国の人々にもきっとあると信じたい。
救援の手を差し伸べる側も、国の立場や見せ掛けではなく全てを『貴い命のレベル』で判断すべきである。
国も個人もその時にこそ本当の真価が問われるのではないだろうか。
私自身も無力で何も出来ない。しかし同苦する心だけは常に忘れず持っていたいと思う。
絵描きといえども地球市民なのだ。


【2010/01/16 19:22】 未分類 | トラックバック(-) | コメント(-) |
思いのデッサン

絵描きには定年が来ない

定年が無いということは死ぬまで絵描きを続けなければならない。
年老いたからといって言い訳は一切できず
生涯現役を通す以外にはない。
年齢や体力に逆らいながら、内なるパワーを維持するのは並み大抵ではなtが、
それでも描くことを常に渇望しながら『我が思いのデッサン』を絶やしてはならない。
あれもこれもと望んだところで絵描きは死ぬまで絵描きである。
他のものにはなれないと諦めて
生涯現役を貫く覚悟が必要だと私は思う。


【2010/01/10 00:08】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(-) |
絵はただ闇雲では描けない

■正確な目標と緻密な計算の上に立って『一点入魂』の気持ちがなければならない。
当たり前のこのことが、意外に出来ずにただの絵に終わることが多い。
綺麗な線、美しい色は無闇に数を描くだけでは出せない。それはスポーツと同じで
例え練習のときでも本番と同じ真剣さが無ければ蓄積する力は残せない。
いざ本番で練習以上の実力が出せるか否かは気持ちと自覚である。
どうせ練習だからとか、習作だと軽い気持ちではまともな作品も生まれないだろう。
生きた作品とは何時何処で何を描いていても本物で、そのときに向き合う描き手の精神を
敏感に筆が感じ取って画面の上に具現化されたものである。
自身の美学になにを根幹に据えるのかを常に考えていなければ駄作の山を築くだけでだ。
たとえ一枚のスケッチにせよ、そこに描き手の魂が閉じ込められていなければならない。
少なくとも私は描く対象とは生涯二度と出会わない気持ちで対峙する。
その繰り返しがなくしては次へのステツプに繋がらないと思うからである。


【2010/01/08 10:37】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(-) |
感動が無いから絵が描けない

言うまでも無く絵を描く為には何かと出会って絵心が刺激されなければならない。

それを如何に自分なりに表現するかが問題で、そのときの感動はひとつのきっかけに過ぎず、

後は受けた印象を過去の経験や技術を駆使して画面の中に再現する作業が絵を描くことである。

いざ描いてみても平凡つまらない場合もある。何を観て人は感動するのかも千差万別で、

描き手と観る側とにも違いがあるがそれはそれでよいのである。

繰り返し描き続ければやがて作品が何等かのメッセージを発してくれるようになるはずだ。

自分が描きたいと思うものはどんなイメージのものなのか。それを日頃から意識していなければ、

もしどんな理想の光景と出会っても感動はしない。

そんな光景が目の前に突然に現れたように みえても、それは日頃の能動的な蓄積があってこそだ。

偶然を必然に変える緻密な心の準備が必要で、感動が無いから絵が描けないというのはこの準備が無い為か、

 それとも単なる怠け心の表れではないのか。

感動するものが見当たらないのは、感動する心が無いことである。

その心は自らの感性を信じてアンテナを磨く以外にはない。

磨いた努力の結果が何等かの形で表れるのである。

これは私自身も常に言い聞かせていることで、絵描きのスタイルもこれによって決まる。

30年間絵を描き続けて見つけたひとつの結論は簡単で漠然とはしているが、

 『作者の人柄が出る』という意味も、アンテナの輝きの違いを指す言葉ではないかと思う。

などとまたまた偉そうなことを言いながら2010年が始まった。

色々あったても過ぎてしまえば全て過去の事で、

日捲りが新しくなったからといっても 日常は何も変わらないは分かっているが、

せめて気持ちだけでもリセットさせたいものだ。

今何が必要で何が無駄な必要のないものかを今年はじっくり考えたい。


【2010/01/01 23:09】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(-) |
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透明水彩画のブログです。
絵を描くことは感動を見つけ出すこと。その時々に出会った想いを備志録的に綴ります。




■変なHNですがネットを飛び回るには便利な南米の鳥です(笑) 観掛けはこんな姿でも、いたって小心者です。 気まぐれな更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。

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