時は金なりと言うけれども
自分は何かの事の為に果たしてどれだけの時間を費やしているだろうか。
何かを行う為にはそれなりの時間が必要となる。軌跡か魔法でも起きない限り
一瞬に出来上がる事などはなにひとつない。
自分に必要で大事なことには労力を惜しまず、けして無駄な時間などとは思わない。
時間をかければよいということではないが、もし適当に済ませてしまうような場合は、
それはそれなりのもので別に懸命に取り組む値打ちが無いという判断が働いている。
限りある時間を有効に遣いたいと思うのは当然だが、
自分の得以外の事には労力や時間をさほど割くことができないのも事実である。
まさに『時は金ナリ』を口実にして、打算と駆け引きを繰り返してしまうのも情けない。
確かに人の能力には限界もあって、苦手はなるべく避けたいものだ。
しかし、自分の持っている貴重な時間をそんなことにでも惜しまず使い切れたら、
多少は今より心が豊かになれるのではないかと思ったりもする。
何事も費やす時間の大きさで想いの深さが反映しても不思議ではない。
表向きは賢くそつなく振舞えても、要領だけでは本物の充実感は得られない。
たとえ世知辛い人の目にどんな風に映ろうと、どんな事にも誠実に取り組める自分でありたいと思う。

嵐山竹林1
こんなことを言う私はまだまだ青臭いのか…
否、実年齢は仕方ないにしても、志す気持ちは若々しい青年でありたい。
例えば真夏の暑い日、高い木の上にとまる蝉を見つけた子供に、
出来ぬ木登りで蝉を獲ろうとする親父のように。。。

【画像は数年前に描いた嵐山の桜】

【2010/03/30 18:18】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
雑感
選 択

今日は日曜日だから絵は描かない。
それとも、日曜日だから絵が描けないのか。
雨降りだから描けないのか、雨が降るから描けるのか…
一字違いの結果は同じでも、その意味は全く違う。

長浜

幾ら仕事だからといっても、毎日まいにち絵が描ける訳がない。
描かない日も当然あってもいい。
ただ私はそのことを自分の意思で決めたいと思う。
四者選択とは、言い訳が出来ない為の決意をすることではないか。
連休が過ぎた雨降りの日に私はふとこんなことを考えていた。


【2010/03/23 13:20】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(-) |
出会い
■衝撃の出会い
もう35年も昔のことになるが、私はある人に連れられて一人の水彩画家の個展に出掛けた。
自分でも少しは絵を描いてはいたが、所詮お遊び程度で画家の個展など初めてだった。
その画家は台湾出身で日本に住みながら作家活動をしていた。
日本の四季を流麗でかつ力強く描いた作品を目の当たりにした私は、プロの絵描きさんは
やっぱり凄いと衝撃を受けたのを覚えている。
絵の事について直接指導は受けたことはないが、当時は50代半ばで生徒さんも大勢居た。
そのときお会いして以来お付き合いを頂いたが、亡くなられて早20年近くになる。
当時の門下生が今現在水彩画家として多く活躍をされている。
私も我流ながらあんな水彩画が描けるようになりたいと思い、本気で水彩画に取り組んだ。
やがて個展を開くようになると氏も足を運んでくれていた。
今私の描く透明水彩画はこの画家と全く違う描法ながら、あの時受けた衝撃がもしなければ、
水彩画の道に進んでなかったかもしれない。そんな意味での恩人の一人だと思っている。

生涯アマチュアでありながら数百人の人達から慕われ趣味の絵を教えていた画家も居た。
金か名誉か実力なのか、とんとん拍子で画壇に駆け上がった画家も居た。
道半ばで若くして世を去った画家もいた。
それぞれの人生がそこにあり、私に何等かのメッセージを与えてくれた。
その都度自分ならどうするのか?ということを考えさせられる点では皆先輩だった。

何を励みに、何を戒めにするのかは人それぞれである。
魂に響き、心を揺り動かす人と出会ったとき、人は未来への種を撒いているのかもしれない。
育てようとしても咲かないまま枯れることもある。忘れた頃に突然の大輪となることもある。
何れにしても自分ひとりの力ではないことは確かだ。他人が種を植えてくれるのではない。
自分がそれを受け取って、枯らさずに育てられるのだ。
その原動力のひとつになるのが感謝の思いではないだろうか。
【2010/03/23 01:04】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(-) |
幻のバス
昔大阪港の尻無川に皆で写生会に出掛けた事がある。
教室引率の為に私はアチコチ忙しく動き回っている中で、
私は気になる風景に出会わせた。
それは古いバスをしゃれたカフェに改造した店だった。
表にはパラソル、川に面した裏側にはデッキが設えてあり私は絵心を誘われて、
数日後同じ場所に出掛けた。ところがその店は跡形もなく消えていた。
場所を間違えたのかと思って辺りを探し回ったがどこにも無い。
あの時の悔しい思いは今も忘れられない。

img6b1db662zikbzj.jpg

描くことは一瞬の出会いで決まる。今この瞬間は二度とないかもしれない。
人工物であれ、自然であれ、或いは人であっても、明日また出会えるとは限らない。
以来私は常に持ち歩く鞄に、コンパクトな水彩画の道具一式を入れている。
人間の意識とは不思議なものである。
そうすれば今度はその道具を使う機会が今まで一度もない。

武士は常に戦場を覚悟して、刀は切れる状態を保つという。
一度鞘から抜いたときは自らの死を意味するかもしれない。
その緊張感(意識)が、接する全ての物事に対して真剣になれるのかもしれない。
『これで大丈夫だ!』と言い切れる自分であれば、後悔することも起こらない。
蜃気楼のように消えたあの店は、私にそんなことを教えてくれた。


【2010/03/20 13:07】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(-) |
夢芝居
疑問の壁
透明水彩画は色と偶然性に頼った『雰囲気重視』の傾向がある。
それはそれで構わないと思うが、ただ装飾的で綺麗さだけでよいものか?
確かにそれも大事な要素には違いないが、
たとえ絵の具を水で薄く伸ばして描く透明水彩画であっても、
論理的に堅固な画面を構築するということも必要ではないかと思っている。
勿論絵の具の持つ性質を無視すれば透明水彩画ではなくなる。
ならば具体的にどうすればよいよいのか・・・。
その答えが未だにみつからないでいる。

夢芝居

絵は楽しんで描ければそれにこしたことはない。
何の規制も束縛も無く自由に描けること自体が楽しいと私も昔は思っていた。
だが最近は描けないことの方が多くなり、厳しい壁を幾重にも感じている自分がいる。
未熟な者が焦ってもこの壁は容易に越えられないことも解っている。
頑固な姿勢を貫くのも大事である。だがそれ以上に長年の錯覚を捨てて、
この『疑問の壁』を越えなければ次のステップへは進めないと悩むことも必要なのだ。
才能など当てにならず、努力の量にも基準などはない。
自分らしくと云っても自分ほど曖昧なものもないとなれば、
『描くほど楽にならざり、じっと手を見る』の心境である。
【2010/03/18 23:43】 過去の作品から | トラックバック(-) | コメント(-) |
山茶花
隣の山茶花

毎年この時季になるとお隣りで独り暮らしのおばあちゃんの家の庭に
山茶花の花が沢山の花を付ける

PICT4438サザンカ

一枝わけてほしいと頼むと
『私と一緒でほっといても枯れるだけ、好きなだけ取って』と言う
80歳を過ぎても屈託なく笑うその声とは反対に
雨に濡れた花がちょっと寂しそうに咲いていた


【2010/03/17 10:55】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(-) |
人は見掛けでは分からない
人は見掛けでは分からない

瞬暇を惜しまず縦横無人に動き回る人がいる。
何故そんなに頑張れるのかと傍目で観ても不思議なほどだった。
きっとあの人は元々意欲的なんだろうと勝手に思っていた。
ところがあるとき病院に何年も通院していることを知った。

9-11.jpg

あれほど見た目は元気そうなのに…
内心不安や焦りを抱えながらそれでも驀進する。
それが深刻な影と正面から向き合う唯一の術と証だったのか。
浅はかな私は以来その人を見る目を変えた。
時は等しく平等に過ぎていく
だがその密度まではその当人でしか分からない。


【2010/03/14 23:50】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(-) |
不器用者の遠回り
■私は不器用な人間で、絵を描く事しか出来ず他に趣味も何にもありません(汗)
絵も仕事となると楽しいとばかり言ってられず、一体何が楽しみで生きているのか…
でも毎日はそれなりに忙しく充実しています。
筆画像

桜前線が北上し始めると、また春を求めて取材に出掛ける準備をします。
絵描きは現地へ行って自分の足で歩かなければ仕事にならず、出掛けたからといって思い
通りの景色に必ずしも出会うとは限りません。逆に無駄足になることの方が多いですが、
それでも良いのです。懲りずにまた出直します。
簡単に物事を片付ける人もいますが、私はどうも納得がいかないと気が済まない性分で、
人の何倍もの遠回りをします。でも性分なので苦にはなりませんが。

ある時花の絵を頼まれました。
私は数種類の花を何十本と花屋に注文しました。でも実際に描いたのは数本…後は無駄。
一見贅沢というか勿体無い話ですが、私にとっては無駄も計算の上で必要なのです。
安易に容易く考えてしまえば、どうにでもなってしまう誰も観てない独りの世界です。
それだけに変な妥協の作品を他人様には手渡したくないと思うからです。
こんな考え方が正しいのかどうかは分かりません。単なる小心者なだけかも?(笑)

本当はそんなに力が無いのに、さも強そうな顔をして見せるのも苦手です。いくら背伸を
びしても後がしんどくなるだけなら、強がりは止めといた方がいい。要するに自分には
正直でありたいと思うだけなのです。それが出来難い今の世の中では贅沢なことだと自分
でも思います。例えば身体に良い自然食はチョッと割高になってしまうのと似てるかも。
どこを切っても本物ということは、一部だけではいけないと思うのです。
全てに徹し切ることは難しいですが、絵描きだからこれはもうしょうがないと腹を括らねば
とても本物に近づける訳がない。
『道楽』とは道を楽しむと書きますが、そんな境地にはまだまだ程遠いと思う昨今です。


【2010/03/08 23:24】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(-) |
絵描きのドレスコード

『こんな席ではこんな服装に』と指定されることを"ドレスコード"という。
勿論これはパーティーなどに出席するときの服装に関する言葉ことで、直接絵を描くこととは
関係が無い。しかし私はふと考えた。
この景色、このモチーフは○○風にちょっと気取ってとか、これはあまり気取らずにラフに
描いてみる方がいいという自分なりにのコードを決めることも必要かもしれない。
所詮描き手が同じなので、なにを描いてもその人らしさは無くならないが、たまには違う雰囲気の
表現を演出するとで絵も変わるものだ。それを私流に言えば、引き出しを幾つか持っていて、
それぞれの段には違う洋服を入れておく。そしていざというときに普段は着ない洋服をサッと
引っ張り出して着れる準備をしておいたいい(方が困らない(笑))その格好(表現)が板に付くか
どうかは分からないが、少なくとも気分転換や新しい違う自分を発見するきっかけにはなる。

なにを見ても自分流の絵にしてしまうことも大事だが、反対に対象に敬意を払い自分を相手に
合わせて描くこともなければ、我が侭で自己満足な絵で終わりかねない。
ドレスコードとは正にそのことで、主催者側の意向にコチラが服装を合わせることだ。
性に合わないとか窮屈だとか言ってる場合ではない。極端な話が、新聞紙に走り描きをしても、
絹本に雁彩を施しても同じレベルの作品でなければならない。いつもいつも正装していては肩が
凝るのは当たり前で、そこは臨機応変でよいのだと思う。

 
赤い花1 

ちょっと角度が違うが、
ある日本画の大家が『絵は描いてやるという傲慢な気持ちでは描けない。描かせて貰うという謙虚で、
祈るような思いでなければ描かせてくれない』と語っていたのを思い出す。
また、オーケストラの指揮者が何故あそこまで、髪を振り乱し汗まみれになってタクトを振るのか…
きっとそうしなければ原作者の音域に到達しないからではないだろうか。これもその指揮者自身が
決めた一種のコードではないだろうか。
今日はこのスタイルがベストだとまづ決めることから絵の作画は始まる。描き上がってそれが
もし場違いだと気付いたら、今度はまた違うドレスコードで挑戦すればいいだけのこと。
少なくとも宴席と違って恥などかかないで済むのである(笑)

要するに人間はともすると気楽さや、いい加減な方へと意識が向く傾向がある。私は絵描きなので
それではやっぱりいい絵は描けないと思っているし、生き方自体に当てはめても、時には余所行きで
バシッと決めることもなければ人生にメリハリが無くなる。
慣れた事を惰性で続けるのは容易いが、それでは本当の楽しさも無い。
以前テレビに『そんなの関係ねぇー』と裸で出ていたタレントがいた。○鹿のひとつ覚えとは言わ ないまでも、               芸の幅がひとつだけでは長続きする訳がない。
無茶な無理はよくないが、自分流の人生のドレスコードを決めておくことは、そんな意味でも
大事ではないかと私はそれが言いたかった。


【2010/03/04 12:23】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(-) |
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透明水彩画のブログです。
絵を描くことは感動を見つけ出すこと。その時々に出会った想いを備志録的に綴ります。




■変なHNですがネットを飛び回るには便利な南米の鳥です(笑) 観掛けはこんな姿でも、いたって小心者です。 気まぐれな更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。

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