懐かしい風景
再 会
昨日の朝早く何気なくテレビを観ていると懐かしい尾道の風景が映っていた。
坂と細い石段の多い街で、あちこち歩くのに汗だくになったのを覚えている。
夕方港に出て日没寸前の波止場を描いたがその同じポイントだった。
私は敢えて風光明媚な観光地の絵は描かない。だから滅多にTVなどでも紹介されないので、
あのとき描いた風景は今頃どうなっているのかと気になる。どこも開発が進み殆どが見る影もなく
変わっていると思うが、尾道のあの一角だけは何故かそのまま映っていたので嬉しかった。
それがこの作品『赤い桟橋』である。

7-3.jpg

絵描きは数え切れない土地を訪れては、その時代の思い出も残している。
作品の完成度は別にして、その思い出と再会したときには心にもう一度同じ絵を描いている。
そして始めて絵描きで良かったと思うのかもしれない。


【2010/04/25 11:33】 過去の作品から | トラックバック(-) | コメント(0) |
良い夫婦の日
昨日4月22日は良い夫婦の日
今更ベストカップルなどという年ではないのですが、
似たもの夫婦と言われるように長い間一緒に暮らしていると
考え方から顔形まで似てくるものなんですね。
10組いれば10通りの夫婦が出来上がり、それぞれがそれなりに
バランスが取れたカップルに見えます。
中には歳を取ると体型まで似てきたりして…
月日は恐ろしいものだと思います(爆)

駅ホーム

元々の他人同士が長いレールの上を走る汽車にたまたま乗り合わせて
生涯走り続けるようようなものなのでしょうね。
ある時は腐れ縁の友達のように、
またある時は修羅場を共に潜る同志のように
なんだかんだと言いながらも、今度もし生まれ変われるのなら
また同じ相手と巡り合いたいとお互いが本気で思えたら、
きっとそれが一番幸せな夫婦なのでしょうね。



【2010/04/23 01:47】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
灘郷下見
気候がよくなると出掛ける事が多くなる。
先日も写生会の下見に西宮の灘郷に出掛けた。
日本屈指の酒造処はあの大震災からも立派に立ち直り、
六甲から海に注ぐ川の両岸にはまだ名残の桜も咲いていた。
(赤い橋の向こう側は六甲アイランド)
PICT4397灘郷
目当ての蔵元に着くと、既に先客のグループ10人ほどが描いていた。
少し年配の先生らしき人が指導者らしかったが、きっと当日は自分もあんな風で
でも私は生徒さんよりもまだ若いし!絵もうちの生徒の方が上手だと
心の中で呟きながらそっと横を通リ過ぎた。
ケッコウ私も身びいきの強い先生なのかもしれない(笑)
鶴やら菊やら色々な銘柄の看板が目に止まったが、私は灘の『剣菱』という
ちょっと唐口のお酒が好きで、鰹のタタキとよく合う。
コレは余談だった(笑)



【2010/04/20 23:58】 デジコマ | トラックバック(-) | コメント(0) |
回想
むかし若い頃に若狭の小浜という処に行った
駅から真っ直ぐの道を浜へ向かって歩くと日本海が見えた。
夏場の海水浴場もシーズンオフには人影もなく長閑な浜だった。
自分の求めるべき方向が掴めず、ただ我武者羅だった頃に描いたのがこの絵。
青いボート

あれから30年…
手探りで彷徨って私の描く水彩画は別人のように変わった。
進化したのかどうかは自分では解らない。
しかし描くべき対象に想いを馳せる深さが随分と変わったような気がする。
若ければ当然かもしれないが、深く物事を考えずに勢いだけで突き進むもので、
もがいていれば尚更かもしれない。
だがその経緯がなければ今の自分も無いわけで、それはそれで無駄ではなかったと思う。
卵が先か、ニワトリが先かの話になるが、絵描きは描く事で自身が変わり、
自分が変わることによって絵も変化するみたいである。
またいくら歳を取っても、根本的なところでは変わらない部分もある。
言葉では上手く説明出来ないが、本質的な部分は死ぬまで変わらないかもしれない。
若い頃でしか描けないものも有れば、歳を重ねなければ逆立ちしても描くことが出来ないものもある。
私自身もそんな簡単なことが30年掛かってようやく解るのだ。
事の内容にもよるが、若気の至りも自分への種蒔きと思えば、
きっと後に別な収穫があるはずだと思う。

たまにこうして古い作品を引っ張り出して、客観的に眺めてみると、
当時見えなかったものが見えてくるのが面白い。

【2010/04/14 22:20】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
ブログ全盛期
私は10年前に自前のHPを立ち上げた。
丁度個人サイトが急激に増え始めた頃で、色々と趣向を凝らした個性的なサイトがあった。
やがて簡易HPともいうべき『ブログ』が注目されはじめ、またたく間にネット上を埋め尽くした。
更には会員制のsnsやツイッターなども加わり、端末機がパソコンから携帯へと役割を移し始めると、
以前のようなややこしい作りの個人サイトは急激に衰退し始めた。
無料でしかも手軽に様々なツールが使えて、不定の輩からからも安全が確保されるとなると、
ユーザー達は安心して画像や文字を日記風に更新出来るブログが主流になるのも時代の趨勢であ。
だが手軽んブログは自由が利かず、外観が似ていると中味までどことなく同じように見えてくる。
元々個人の趣味的要素が強いWEBサイトは、それぞれのオーナーの個性が反映されていたからこそ
訪問する側も面白かった。それが画一化してくると興味が半減してしまう。

img0a3f8e56zikdzj.jpg

ネット界は今後も益々多様化が進み、時代遅れで骨董品のようなHPは時代の流れにのみ込まれて、
やがては消滅する運命を辿るかもしれない。『継続は力なり』などと格好よく言うわけではないが、
自己満足でも10年も続けるにはそれなりのパワーが必要だった。状況の変化に振り回されて、
途中で投げ出してしまえば結局何も残らないと頑張った。
知り合いのHPがいつの間にか閉鎖、或いは幽霊船のように放置状態で彷徨っているのを観掛けたりすると、これがネットの儚い実態なのかと思ったこともあった。
無料のレンタルサーバーが突然サービスを打ち切り、膨大なファイルを別のサーバーに移す時も大変だった。
手軽なブログへと人の目が移るにつれて、我がHPへの訪問者の数も確実に減っている。
もう今更昔のように新しいことに手を伸ばすほどの気力は無いので、このまま細々と続けるしかない。
この6月で10年目を迎えようとして、過去の様々なことを思い出す今日この頃なのである。

【2010/04/13 00:35】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
感動

今更言うまでも無く絵を描く為には何かと出会って、絵心が刺激される感動がなければならない。
後はそれを如何に自分なりの表現で画面に具体化することである。
感動は描き手にとってきっかけに過ぎず、受けたその印象を過去の経験や技術を駆使して画面に再現して定着させる作業がだと私は思っている。
人それぞれ何を観て感動するかは違う。また描き手と観る側にも開きがあって全ての人が同じように感動するとは限らない。

日常の我々に感動なんてそんな簡単には出会わないものだ。絵を描く者は描きたいイメージを日頃から意識しておかなければ、たとえどんな理想の光景に出会ても目の前を素道りしてしまうだけで感動には結びつかない。
偶然を必然に変える為には常日頃の心の準備が必要なのだ。もし感動が無いから絵が描けないと言うのならこの準備が足りないか、それとも単なる怠け心の表れでしかない。
感動する心を失うことは自らのアンテナが錆びついてしまっていることだ。なにを描いてもその作者が出るとよく言うが、この意味もこのアンテナの違いを指すのではないのか。
『心が動く』ということは、対象がどうこうではない。山は誰が観ても山で、花は誰が観ても花である。それを敢えて絵描きが描いた理由を観る者に伝えようとするのが作品ではないだろうか。

4-4.jpg

絵描きでなくても人は普段から考えていることに対して無意識に心が動き興味が沸く(それもひとつの個性だが)後で無理やりにこじつけてもその心根は表れるものだ。
更に言えばそれに共感者が居るなら、同じ感性の持ち主ということになっても当然で不思議ではない。
あまり観念的なことを言っても仕方がないが、絵の良し悪しは結局技術や経験だけでは計れず、そんな部分にどうしても行き着いてしまう。
『筆を持つ時だけが仕事ではない』とある人が言っていたが、五感が震える程の感動は空から突然降ってくるのではなく、自分の中にあるものが触発されて表に出た結果ななのだと私も思う。

【2010/04/10 23:45】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
白の話
4月6日は『白の日』
単なるゴロ合わせと思うが、白と聞けば少々気になる。
白は黒と同じで無彩色の部類で色ではない。
私は色の極端に少ないまるで墨絵のような水彩画を好んで描いている。
30年以上も昔、某化粧品メーカーに色を使わない宣伝があった。
電車の中吊りでそれを見た私は驚いた。
周りには少しでも目立とうとする派手なものの多い中で、それはひときは人目を引いていた。
まだ水彩画を描き始める前のことで、以来白黒のシンプルで奥深い世界に惹かれるようになった。
若い頃の鮮烈な印象はやがて冬景色という対象と出会って現在に至っている。
個人的には白ほど気品があって強いく美しいものはなく、
紙の白を生かし、クレーが使いこなせれば一人前だと今も思っている。
なにを自身の美学の根幹に据えるのかは難しい。
だがそのことが、ただの絵を作品にまで昇華させる大事な要点ではないかと思う。

白い花

4月6日でふと昔のことを思い出して書いてみた。


【2010/04/08 20:51】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
権威
■公募展で作品が展示される場合、
自分の作品がどの部屋のどの辺りに飾られるかが出品者は気になるらしい。
あの会員の隣で良かったとか光栄だとか…
結婚式の席次や、葬式の焼香順でもあるまいと思うのだが、
実力は仕方がないにしても、なにやら微妙な力関係も働くらしい。
彼らは一体何の為に出品するのでしょうか疑問に思う私です。

年功序列社会では新米はコキ使われるらしい。
みんな過去に通過した道…とばかりに我慢して黙々と汗を流す。
年配でも新米は先輩格の若い会員に頭があがらない。
封建的な古い体質の中で斬新な美を追求するのは無理があるような気がする。
権威や派閥に振り回されてまで、己の安泰などを私は願いたくない。
カット1
ある人はそんな理不尽な世界を垣間見て、嫌気がさして退会をした。
あれほど何年も望んでいた会員の席なのに…
内と外との違いはどこにでもあって、それに気付いても目をつぶれる程の人でなければ、
偉くはなれないのかもしれないですね。


【2010/04/06 10:51】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
肝要になる
ある人が絵を描きながらつぶやいた

keju.jpg

『歳を取るとものが見え難くなるので、つい画面の上だけでもハッキリさせようとしてしまう』と。
老人の声がやたら大きくなるのも、聴力だけの問題ではなく同じ理屈かも?
いい加減が不安に思えるときが一種の老化の始まりかもしれない。
若い時は何事も無計画で大雑把、それでも気にもならなかった。
歳を取っても焦ったり、思い込んだりせず万事適当が若い証拠だと思えばいいのに。
自他共に肝要になることも必要な場合もきっとあって、
経験がものをいう人と、邪魔をする人の違いは大きいとふと思ってしまった。


【2010/04/03 23:47】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
最新コメント

最新記事

月別アーカイブ

カテゴリ

コンドルのプロフィール

コンドル

Author:コンドル
透明水彩画のブログです。
絵を描くことは感動を見つけ出すこと。その時々に出会った想いを備志録的に綴ります。




■変なHNですがネットを飛び回るには便利な南米の鳥です(笑) 観掛けはこんな姿でも、いたって小心者です。 気まぐれな更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる


| ホーム |