観る目
描ける人は観る目もある
当然ながら描けない者は他人の作品も見えない。
経験を重ねると目が肥えて、ある程度の良し悪しは解っても本質までは見えない。
一流の実践家は同時に一流の評論家なのである。但し大抵の場合は目や知識だけが
先行して実力がそれに伴わない。
例えば、一ページの本の内容を5分で読んで理解出来ても、一本の線をまともに引く
年数とは比べ物にならない。有名な画家の作品を前にして鮮烈な感動を受けることと、
その作家がその作品を描くまでの道程の上に成り立ったものとは比較にならない。
その気になるのは容易い。しかし自分も実際に経験して得たものを持つ者の目には適わない。

蘭

絵かきは他人の絵を観る為に生まれてきたのではない。常に自分が描く為に他人の
作品も観るのである。何故この作品はこんなにも素晴らしいのか…と自分と重ね合わせる。
それが絵かきの本音ではないだろうか。
好き嫌いや相性があったとしても、その凄さがたとえ自分に無いものであっても認められる
心が大事でそれが『描ける人は観ことも出来る』という意味だと私は解している。
他人の作品と対峙したときは、批判の目で常に真剣にみる。それは同時に自分に向けた
厳しい問いでもあり、評論家と作家の決定的な違いなのかもしれない。


【2010/05/20 12:51】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
蛙の子はカエル?
DNAか環境なのか、親と同じ道に進む子供がいる

血は争えないとも言うが、芸の世界には結構多いように見受けられる。
中には親が子供に自分が果たせなかった夢を託す場合もあったりして二代目の子供が親を超えて大成すると、
トンビが鷹の子を生んだと大騒ぎになる(笑)
また門外不出の扶桑相伝は直系の後継者が継ぐとされる、属に言う世襲制度も残っている。
親の七光りと陰で揶揄されても、平然と利害絡みで君臨出来る政治の世界では時々問題にもなるが、
こうなるともはや蛙や鼠の庶民の話ではない(笑)

門司駅

そもそも才能や能力は親子と言えども個人の問題で蛙の子は蛙と一概には限らない。
人間の性質は確かに遺伝的要素が強く、育った環境が特殊になればなるほど
子供への影響が大きくなっても不思議ではないと思う。
しかし親が子に期待を持つのは当然でも、その子がそれを引き継げるかは分からない。
親と子が同じ世界で活躍するケースもあるが、そんな人はよほど恵まれた環境か、
もしくは稀有の親を持つ子に限られるのではないかと、下世話な僻み根性も沸いたりもする(笑)

酒飲みの親は子供も酒好きで、これもまた蛙の子はカエル(笑)それが先天的に似たのか
後天的に似てしまったのかは別として、親子の性質などというものは別になんの努力をしなくても
歳が親に近づけば自然に似てくるということもある。
たとえ育った環境がどうであれ、親がどうであれ親と子は別の人格でその想いもそれぞれ違って当然である。
親蛙の功績やその他諸々を引き継いだとしても、尚自身の力をそれにいくらかでも上乗せをして、
親蛙を越えなければ本物の蛙とはいえないのでは?
『門前の小僧習わぬ経を読む』程度の努力ではとても越えられない。
常に親と比較されるというプレツシャーもあるだろう。中にはそれを嫌い敢えて親とは
別の道に進む子供がいても分からなくもないのである。
何を指して蛙の子はカエルと言うのか。肩書きや名誉や才能などとは違うもっと本質的な
部分で、やっぱりあれは親子だと誰もが認められる方が人間として安心できるような気がする。
馬鹿な部分だけがそっくりでも胸を張ればいいではないか。
それこそ蛙の子は蛙なのだから。

余談ながら…
ある若手の小説家が自分の親のことを振り返って
『私は息子のお前の為にこの世に生まれてきたんだ』という言葉が今も忘れられず、
更に『だから私もあの世へ行けば、生涯かかってこれだけの仕事をしてきたよ』と胸張って
父に報告したいとも語っていた。
なんと壮大な、なんと厳しくも愛情溢れる親子関係だろうかと私はそれを聞いて感動した。
やっぱり才能や形式だけを継ぐものではないと思った。


【2010/05/15 14:39】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
誰が観るのか

ある役者の公演で幕を開けると
観客席には同じような芸能関係者ばかりが埋め尽していた…そんな事は無いと思うけれども、
もしそれが現実ならどう判断すべきだろうか?
こんなに同業者がわざわざ観てくれて有り難いと喜ぶのか。
それとも身内ばかりでは話にならないと肩を落としてガッカリするのか。
当然前者の中には当然勉強の為という役者も居るだろうし、芸能レポーターがネタ集めに
紛れていることも充分考えられる。何れにしても席は満席なのである。
だが、私は本来の役者の本心からすれば、後者すなわち舞台公演を生業にする者であれば
縁も所縁もない一般のお客さんが満席の状態で初めて喜べるのではないかと思う。
木戸銭を払うお金には変わりはないと単純に思えるだろうか。

PICT4400白い花

話の前置きが長くなったが、一体私が何を言いたいのかというと、
我々絵描きも作品を描いてそれを第三者に観て貰わなければ意味がない。幾ら自分の為に
描いているといっても、やがて他者にも見せたいという気持ちが沸くものである。
その見せる場は大小色んなケースがあっても、要はその会場まで足を運んでくれなければ
見ては貰えない。
今から思えば私が始めて個展を開いた時は、来てくれる人は身内(親戚)か親しい友人
もしくは絵の仲間達だった。つまりどの顔も知った人ばかりで初対面の人は全く居なかった。
それでも私が絵を描いていることを皆喜んで観てくれた。
年月は流れ同じような経験を何度も重ねた。そして今現在では各方面からの口コミや噂等で
会場に来て頂く来観者の殆どが初対面で、自分では絵など描かない人も増えた。
通りすがりの一軒さんがまづ入らない処である。身内を軽く扱うという意味でもけしてないが、
作家が真剣勝負で作品て貰うのは、何の義理もないその他大勢の一般の人ではないかと思う。
そしてその人達が本物のフアンになって再度足を運んでもらえるかが作家のもうひとつの
闘いではないだろうか。
話を元に戻すと、私如きの拙い作品でも見学の為にと鑑賞してくれる人がいることはそれは
それで有り難いとだとは思うけれども、それに甘んじているようでもいけないと自分を戒めている。
ましてプロと名乗るなら当然の解釈ではないかと。

好きで始めた事とは言え、修羅場を何度も潜ればその中身が序々に変わってくるものだ。
以前喜べた事が全く逆な受け止め方になる。それが良いのか悪いのかは事にもよるが、
絵描きは時々こんなことを考えたりするのである。


【2010/05/07 00:28】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
神戸北野町
北野坂を占拠
夜半から朝までの大雨がウソの様に止んだ祝日の29日
毎年恒例の写生会で神戸北野町に出掛けました。
連休初日でもあって人出も多かったのですが、生徒さんも皆で描けば恐くないの心境で
通行の邪魔をしながらメインストリートの北野坂を一時占拠してしました(笑)

北野坂占拠

お店に入れば入っで今度はお店を占拠…引率の責任者は、事あるごとに『すみませんねー』の連発。
巡回指導もしながらこの日ばかりは流石に疲れます。
折りしもこの日は結婚式を数組観掛けました。港が見える異人館でウエデング…
まるで雑誌に出てくる様な光景で、暫し見とれてしまいました。

さて、まだまだ続くGW。
どうぞ皆さん楽しい休日をお過ごしください。
私は五月晴れの空で泳ぐ鯉のぼりも釣りに出掛けようかと思います(爆)

【2010/05/02 01:36】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
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透明水彩画のブログです。
絵を描くことは感動を見つけ出すこと。その時々に出会った想いを備志録的に綴ります。




■変なHNですがネットを飛び回るには便利な南米の鳥です(笑) 観掛けはこんな姿でも、いたって小心者です。 気まぐれな更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。

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