何故描くのか
中身のある絵

実は絵を描く上ではこれが一番重要です。
中身なんて抽象的で説明が難しいのですが、
作品はこれで決まると言っても過言ではありません。
それは言い方を変えると、観る者を惹きつける魅力であったり、
無言で発する作者のメッセージや、街のざわめきのような空気感なのかもしれません。
観る人の感じ方にも拠るところが大きいと思いますが…。
ただ見えたものだけではなく、そこには何等かの描く必然性のようなものを探さねばない。
よく言うことですが、絵と作品の違いは目には見えないものを如何に捉えるかの違いで、
意識の有無に拘わらず『計算』が働いていなければならない。
その計算がある時は省略であったり、演出の為の強調であったりするのだと思います。
写真のように対象を忠実に描ける事も大事ですが、問題は如何にその画面の中に
自分を存在させるか。

04.jpg

話が段々難しくなりますが、
同じものを誰が描いても同じ絵にはなりません。
それはその人の持つ元々の個性で、特別な努力をしないでも現れるものです。
しかしひとたび作品となると全く違ってきます。
このことが解り始めると、私たちは途端に絵を描くことが難しくなり悩みます。
大人になっても子供のような精神を持ち続けられる天才画家ならともかく、
我々凡人は想像力と創造力を駆使して画面の上に何かを作りあげるものがなければならない。
それがが中身ではないかと私は思っています。
何を描くかよりも、何故描くのか。
人はそのことに何かを感じて感動するのではないでしょうか。


【2010/06/30 00:27】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(4) |
大先輩の言葉
大先輩の言葉
■水彩画の大御所で既に亡くなられたある先生が次の様な趣旨のことを私に語ってくれた。
『建物を描いた場合は、そこに人気を感じさせるように描かなければならない』
(確かその時私は梅田の丸ビル周辺を描いていた)そして『建物の後ろ側にも何かが無ければ
ならない。見えてる部分は半分でもその向こう側が描けてない』と厳しく言われた。
確かに建物の表面の面白さには惹かれて描いたものの、その建物の中に人が居るとか、
見えない部分などは気にとめなかった。言われてみればその通りだった。
以来私は人物の点景さえ描かないが、そこに生活をする人々の息遣いが感じられるように心がけ、
見えるものよりも隠れた部分の空気を描くようになった。
別に師弟の関係でもなく、同じ会派に属していた訳でもない私の作品に氏は率直な批評をしてくれたのだ。
単なる評論家のような理屈からではなく、実戦する人の発する言葉はやっぱり違う。
nadagomikage.jpg

若い頃から『絵は真実を見つめなければ嘘になる』というのが口癖で、あるとき通天閣の
づぼらやの大きな提灯を、雨に濡れながら夜に黙々とスケッチをしながら自ら実戦していた
姿は凄かったと亡くなられた後年に別の作家から聞いたこともがある。通り一遍の社交辞令で
褒めるのは容易い。甘い褒め言葉はそのときは嬉しいものだが歳月が経てば忘れてしまうものだ。
的外れな押しつけは魂にも響かないが、核心を突いた酷評はよほどでないとできず、
もしその言葉がなるほどと納得が出来れば、終生心に残る財産になるものだと改めて思う。
反発する気持ちを抑えて、謙虚に耳を傾ける資質は作家としての実力を磨く以上に大切なことで、
他者の作品も冷静に観る心眼も同等に持たなければ一人前の絵かきとは言えないのかもしれない。



【2010/06/25 11:24】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
目に優しい水彩画
独り言は続く

自分の個性を他人よりも強く主張しようとすると、どうしても目を引く色や形で描こうとする。
昔『芸術は爆発だ!』と叫んだ御人も居たが…往々にして作家の気質はそんなものだ。
それはそれで正しいと思う。何を描くにも気合や内なるエネルギーが必要で、
画面にそれを吐き出すように現したものがいわば作品である。
それに何等かの感動を受けて貰えれば作家は本望なのかもしれない。

私は目に優しい作品を描きたいと思っている。
それも中途半端なものではなく徹底して『安息』を感じてもらえる表現を追求している。
結果は派手な色使いを避けどちらかと言えば地味な色調の水彩画になることが多い。
賑やかで楽しい事が嫌いな根暗ではけして無いつもりだ(笑)
日頃騒がしくて刺激的なものが氾濫している中で、せめて描く作品は目にも心にも優しい水彩画を
自分のテーマに据えて、プラスの描法からマイナスの描法へ。押しのける表現から引き寄せる表現に。
或いは塗り込めるよりは染めるように等々は私が一貫して主張する透明水彩画描法である。
時代はエコとか癒しとか盛んに言われるようになった。言葉は違っていても私の持論が今の時代と
奇しくも合致してきたのはけして偶然ではないと確信している。

本来の透明水彩画とは一体どんなものなのか自分でもよく解らないが、
ナチュラルで押し付けがましくない…それが生意気にも私の思う透明水彩画なのである。


【2010/06/18 19:24】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
ネット格差
アナログオヤジの独り言
今から20年Windowsがカラフルで画期的なソフトを開発して以来、
ネット通信は日進月歩で進化を遂げた。
当時自分にはあまり関係ないと思っていたが、何時の間にやらネットが生活の一部になってしまった。
携帯電話も今や電話の役目よりも、ネットの端末並みでカメラの画像も綺麗で
手軽に写してブログに載せるブロガーが増えると、ネットの裾野は益々広がる一方だ。

道具

『声も出さずに何でもかんでもメールで済ませる若者が増えた』と遠目で批判的に見ていた大人たちも、
今では率先して電車の中でもカチャカチャとやっている。
時代の流れは個人の好むと好まないに関わらず進化して行く。
だが方や本を読まなくなり、文字を手で書かなくなることで漢字の読み書きに支障が起こる。
情報という点での格段の便利さを上手く利用出来る者はまだ良いが、出来ない者にとっては
ちょっと不便な社会になったと感じるかもしれない。
例えばものを買うにも携帯を持っていなければ信用されない。
街には公衆電話が姿を消し、地方から出て来た年寄りは孫会いたくても連絡さえ取れない。
ネットでは安く買える品物も、みすみす店頭で高く買わざるを得ない。
まして高齢化になると、経済格差とは違う『ネット格差』のような時代がやってくるかも。
画期的で夢の様な時代が実現するのはけして悪いことではない。
しかしそれに伴う弊害や負の部分も必ずあるのも事実である。
その陰の部分が社会の表に噴出したときがひとつの危機かもしれない。
一昔前には『バブル崩壊』が起こったが、今度は『ネット崩壊』のようなことが起きるかも…。
加速度的な時代の流れについて行けない者は置き去りになってしまう。
本来自分のライフスタイルは自分で選択すべきものなのに、
時代の流れにひたすら合わそうと必死になる姿も可笑しな話である。
だが今はその選択さえも許されない不自由で不便な社会なのかもしれない。

一時は『そんなの関係ねー』と言っていた団塊世代のアナログオヤジも
こうなれば出来るだけこの世にしがみついて、時代の顛末をこの目で見届けたいとは思うのである。


【2010/06/15 12:58】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
お知らせ
第22回 彩遊会展

一年は早いもので、また今年も恒例の教室作品展の準備が始まった。
生徒さん主体の展覧会なので、私は別に何をするわけでもないが、
それでもやっぱり慌ただしい。
勝手に『大阪夏の陣』と言っているが、生徒さん達の成果を見届けて
それを追い風に今度は私が個展に向けてスタートすることになる。
つまりこの時期から今年後半の熱い闘いも同時に始まるのだ。

彩遊会の陣3

最高齢者を筆頭に、叱咤激励をしながら皆頑張っている。
一年経てばその人なりにその分何かが進んだはずで、
それを互いに確かめ合う為の彩遊会展である。
今回も楽しく賑やかに開催したい。

★興味のある方は微風の窓トップからご覧ください<(_ _)>
【2010/06/12 13:23】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
花も魚も踏み越えて
花も魚も踏み越えて…
古い歌の文句で何のことだかよく分からないが、
要するに絵かきはその都度興味の沸いたものは何でも描く。
ただそこには少しばかりの拘りがある。
動機と言えば大袈裟だが、そこに材料が有れば何でも良いというものではない。
例えばこの鮭を描くのに三年掛かっている。
北海道の網走で店の看板に吊り下げられていたのを偶然見つけて、絵に描きたいので売って欲しいと
頼み込んで譲ってもらった。それまではどの店でも断られ、三年目でようやく手に入れたのである。
何故看板の鮭でなければならなかったのか…店の人も『コレ食べれないよ』と言っていたが、
売り物でなく寒い塩風にさらされたまま、適度に干からびている鮭を描きたかったのだ。

9-27.jpg

流氷の上から景色を描く為に何年もその機会を待つ。
白い薔薇を描く為に花屋を何軒も探し歩く。
どれも私の中では同じ拘りの作業なのだ。その拘りが無ければ作品は描けないのだ。
花も魚も気の遠くなるような時間と手間を掛けながら描いている。
執念と手塩にかけた分、愛情が込められるような気がするのである。
私の作品を描く枚数が少なくない理由もこんなところにあるかもしれないが、
ひとつひとつの思いを遂げながら進む絵かきでありたいと思っている。



【2010/06/11 02:11】 過去の作品から | トラックバック(-) | コメント(0) |
ネットの難破船
ネットを辿って俳諧していると
以前に縁のあった人のサイトに偶然出くわすことがある。
だがどうも様子が何かおかしい?そこで更新記録を見てみると2004年で止まったままになっている。
主が居ないままの放置状態になった原因はなんなのか、いつまた再開されるのかも不明のまま、
このサイトはWEB上に作品を載せたまま、漂い続けるのかと思うともやりきれないものがある。

船

何等かの事情で一時中断していても、必ずまた再起するという気持ちが無くなればお終いである。
現実の世界では一度公言した事は簡単なことでうやむやにすること出来ないものだ。
けしてこれは他人事ではなく、明日は我が身でどうなるか分からない。
一時は頑張るつもりでも、時が経ち状況が変化すると気持ちも意欲も萎え、
自己嫌悪に陥りながらも日にちがそれさえも消してしまうのである。
別に何がなんでも続けなければならないわけでもなく、ましてネットでは
他人に実質的な迷惑をかけるわけでもない…なにが何でも続けるだけがよいとはいえないが、
一度本気で決めたことを途中で投げ出すことは、
理由がなんであれ結局それは無責任で、本人の敗北以外のなにものでもない。

そんな難破船が無数に漂い続けるのがこのネットの世界というのも皮肉なものだ。


【2010/06/02 00:39】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
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透明水彩画のブログです。
絵を描くことは感動を見つけ出すこと。その時々に出会った想いを備志録的に綴ります。




■変なHNですがネットを飛び回るには便利な南米の鳥です(笑) 観掛けはこんな姿でも、いたって小心者です。 気まぐれな更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。

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