独学
独 学

若い方はご存知ないだろうが、昔『アトリエ』という月刊誌があった。
美術専門誌とはいえまだフルカラーではなく定価680円だった。
私はその本を見て絵画全般のことを独学した。
当時漠然と絵を描くことだけが好きな私はこんなアートの世界もあるのか!と
新鮮な驚きの連続だった。
広告の中には『○○展は画家への登竜門』とか『芸大予備校の○○』という文字が躍り、
右も左も分からないながらも道程の遠きを感じながらも、この本を脇にその後も
紆余曲折を重ねながら我武者羅に独学の道を突き進んだのである。

アトリエ

まだ透明水彩という分野すら知らなかった。
後に強烈に印象付けられた作品にも何度も出会い、幾つかの団体からの誘いもあった。
作家としての生き方(方向)に迷った時期もあって、その都度の選択が果たして正しかったのか…
それは自分でも分からない。しかし透明水彩画に拘った30年には何等の後悔もない。
歳月が流れ今も書棚に残る色褪せたこの本を見ると当時のことが懐かしい。


【2010/07/28 18:50】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
役者の喩え
役者の喩え

私は別に演劇や芝居に特別な興味があるわけではない。
しかし役者が演技をする様や考え方は、何処か絵かきと似たところがある思っている。
ものを描くときには必ず主と従を意識して、主役を描く為に脇役を如何に描くかが大事だ。
ところがこれが反対になると結局なにがテーマなのかが分かり難くなってしまう。
そこで私は透明水彩画はマイナスの描法が大事だと主張している。
それは主役を壊わさずに描く方法で、それぞれが持っている固有の色や形に囚われずに、
先ず主と従関係でものを捉えることで、
そうすれば見え方も違ってくるはずなのである。
それは芝居の役者と同じで、脇役がしっかりと役目を果たしてくれると、
主役は何もしないでも存在感が保てるのである。
ある時は消えて目立たなくなったり、また別の場面では主役以上に目立つことでバランスを取る。
それもこれも自分が何を描きたいかによって決まってくるものだが、
あまり主役に力を入れ過ぎると返って主役になり難く、脇が甘いということになる。
周りから上手く攻める『描かないで描く』マイナスの計算が
透明水彩画にはどうしても不可欠なのである。

パレット

プラスすることばかりを考えて描くと、当然画面が混乱を起こして色も濁る。
出演者が皆主役だと言い始める舞台は台無しになる。
そうならない為に演出家がいる。
絵の場合それは言うまでもなく描き手が的確なコントロールすることである。


【2010/07/23 23:43】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
言行一致
誠実な自分史を綴りたい

有言実行はなかなか難しいことだ。

しかし誰のためでもなく自分自身のためと思えば努力も出来る。

どんなに凄い夢や理想も口で言うだけなら何の意味もない。

下手をすると周囲の信頼を失ったり、自己嫌悪に陥るかもしれない。

すぐには思い通りにならなくても、諦めないで続ける過程が大事で

周囲はその懸命な姿を認めてくれるのではないかと思う。

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たとえ期待通りの結果が得られなかっても

そこから逃げ出してはまた振り出しに戻ってしまう。

宣言したということは自分との約束を交わしたことである。

他人は如何様にも誤魔化せても自分は誤魔化せない。

自分史を綴る。それは自分自身への約束を

誠実に精一杯果たすことだと思えばきっと頑張れるはずだ。


【2010/07/21 09:30】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
生徒作品展
彩遊会教室展が始まった

早いものでもう数えて22回目となる。
それは二十二年の歳月が流れたこと同で皆歳を取ったと改めて思う。

初日の会場に居ると以前生徒だった人が次々に立ち寄ってくれて懐かしい昔話に花が咲く。
どの人も教室を離れても今も水彩画を描いていているのが嬉しい。
新旧入れ替わるのはこの世界では仕方がないが、一時同じ机を並べた仲間の繋がりは、
これからも大切にしていって欲しいと思う。

今の厳しい社会情勢の中で絵の教室運営も他人事ではない。生徒が減り閉鎖された所もある。
しかし細々ながらも35年もの間続けられているのは、集まる生徒さん達に恵まれたお陰だと
心から感謝している。そんな生徒さんに応えためにも更に充実した教室になるように
可能な限りの努力をしたい。

画像 001

私のただひとつ困ることは…
年々レベルの上がる彼らの作品展の後には私の個展が控えている。
嬉しい反面プレッシャーも大きく、ぼやぼやしてたら追い越されてしまう。
なんとか一歩でも先を進んでいなければ申し訳がない。そんな熱い闘いがこれから始まる。

★彩遊会展はこちらから

【2010/07/17 11:42】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
湯布院スケッチ
スケッチ

昔、山本こうたろうのこんな歌がありましたね。
岬めぐりのバスは走る…♪
旅に出ると何故か私はバスに憧れます。
ローカル線のバスは大抵ガラすきで貸しきり状態。
窓から入る風と心地よい揺れでついウトウト。
『お客さん、終点です!』こんなことが何度もあります(笑)
降りた所は知らない漁村。でもまっいいかと歩き出すと
驚くような凄い景色に出会うものなんです。
暢気といえば暢気なのですが…
日常を離れて非日常の場所に身を置いてスケッチをしていると、
普段は見えないものが見えて、聞こえない音が聞こえてきます。
私はそんな事がとても大事なような気がするのです。

湯布院駅前小

画像は過日に出掛けた九州の湯布院駅前
博多に帰る汽車を待つ間のスケッチです。
本命は他に有るのですが…それは何れ個展でご紹介します。

【2010/07/13 13:36】 最近の絵 | トラックバック(-) | コメント(0) |
絵かきの思い
画家の故池田満寿夫氏が講演で

『芸術とは非日常を擬似体験してもらうことだ』と語っていました。
ありふれた日常の中でひと時それから離れた別の世界へ導くものが作品と呼ばれるもので、
それは絵画であったり音楽や文学であったりする。
観賞者はあまり難しく考えないで、一瞬でも非日常を感じられればよいわけで、
作者は現実を様々に写し取りながらも、如何に現実を離れるかを考えます。
いわばそれが作り手の力量で、場合によれば絵空事であり憧れや夢なのかもしれません。
自分はどんな非日常の世界に身を置いてみたいのかも人それぞれ違います。
他人と同じである必要もなく、その場が自分にとって居心地がよければそれでいいのです。
私たち絵かきはそんな出会いを提供することが仕事だと思いますが、
人の価値観や好みは違うのですから、自分の描くそれが全ての人に受け入れられるとは思えません。

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池田満寿夫氏も芸術は自分なりに楽しめばいいと言いいます。
ところが日本人は遊園地には気軽に行けても美術館へはあまり行かない…
遊園地や映画館も非日常的な場所だと思うのですが、何故か芸術は敷居が高いという。
芸術なんてそんなに大袈裟なものでも、高尚なでもは本来はないはずなのですが。
(だから私も自分のことを芸術家などとも思っていません)
中には凄い肩書きを背負った人が、声高に難しい論を唱えて独走することを芸術(家)だと主張します。
芸術とは特別な才能の有る者が、限られた人にさえ理解して貰えればそれでよいという
選民的な考え方があるうちは、美術館がなかなか遊園地とはならないのではないかと思います。
また絵かきは奇行、変人が定番のように思われがちですが、けして皆がそんなことはないのです。
いつもいつも年中腹を立てていたり、地獄の中を悲壮に這い回っているようなこともなく、
大半は平凡な日常を送っているただの人だと思います。
変な錯覚や迷信に囚われず、美術や芸術を特殊なものとせずもっと自由に気楽に
楽しんで貰いたいと多くの創り手は思っているはずだと?と
生意気ながら私も思うのです。



【2010/07/10 12:12】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
個展
梅雨の中休みにある人の個展に出掛けた

作家が個展を開くと、並んだ作品を含めてその人の個性が会場全体に反映するものだ。
日頃の作品作りの姿勢や取り巻く環境までもが手に取る様に解り、それに納得出来たり意外で
あったりして会場に出向く価値はそれなりに大きいものがある。
また個展とは一人芝居の座長の演技様なもので、来観者はその出し物を興味深々で眺める。
普段の生活の中で大勢の人に注目される事などあるようでなかなかないものだ。
『こんな主役になれたのは結婚式以来だ』とある人が言っていたが、その気持ちもよく分かる。
そして一度経験すると病みつきになって、2回3回と繰り返すようになる。
晴れがましく緊張の連日が続き会期は最終日を迎え、
祭りの後の一抹の寂しさに似たものをしみじみと感じるのかもしれない。

そのT氏とお会いするのは昨年に続き二度目になる。
ご本人は落書きみたいだと仰るが、謙遜ながら落書きなんかではあんな作品は描けない。
芝居には『迫真の演技』というものがある。
如何様にそれらしく理由を付けても絵は所詮は絵空事の産物である。
だが観る側はその演技(表現)に魅了されるのだ。
単なるスケッチの領域を超えた、それは正に真に迫るような秀作だった。
ご本人を目の前にしてこんな言葉を幾ら並べても信じて貰えないので、あえて言わなかったが、
私の対極にあって理想とも言えるべき水彩画だと思いながら拝見をした。

蘭舞(礼状)

当然のことながら、経験を積み重ねると人は微妙に変化するものでもある。
要らぬ荷物も背負うようになり、無欲が欲に変わる事もある。
その欲が吉と出るか凶と出るかは分からない。
しかし願わくば余計な雑音に惑わされることなく、
初心を貫いて頂きたいとファンの一人として陰ながら願う。
何れにしても期待と失望が交錯する諸々の中から何を四者選択するのか、
それはご本人にしか分からず、我々は次回にその答えを楽しみに待つのである。
作家は自身の努力だけではけして育たない。
周囲の様々な眼差しから栄養を注ぎ込まれて育つ花なのかもしれない。



【2010/07/05 11:10】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
年金暮らし

もう随分遠い昔のことです

私の作品を気に入ってくれた年配のおばあちゃんが、
作品の値段を聞いてどこかに電話を掛けてました。
『今娘に年金が幾ら銀行に残ってるか確認しました。なんとか買えそうで嬉しい』と。
私は一瞬大丈夫なのかと心配して『無理してはいけませんよ』とそれとなく聞くと、
『いいんです。私のお金だから。でも管理は娘がしてくれてるので…』とのことでした。
世の中にはいろんな境遇方が居て、有り難い事にその方達が私の作品を購入してくれます。
どの方も大切なお客様には変わりがないのですが、
あのおばあちゃんのことが今も鮮明に覚えているのです。

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年金暮らしのおばあちゃんにとっては大きな買い物で、きっと一代決心だったと思います。
後日葉書が届きそこには『何時も部屋に掛けて眺めています』と書かれてありました。
喜んで頂けたことは絵かき冥利に尽きるのですが、このとき私は
お金には名前や顔が無くても、それを使う人には様々な思いがあるはず。
いくら誇りやプライドを大事にするプロとはいえども、
人の心には心で感謝することをそのことを忘れてしまっては、
作品をお金に代えることなどとても出来ないと思いました。
そしてこの方の為にも更に頑張ってよい作品を描いていこうと思いました。

おばあちゃん…今もあの時の作品は光彩を放ち続けているでしょうか。
私もなんとか絵かきを続けていますよ。


【2010/07/04 00:53】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(2) |
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透明水彩画のブログです。
絵を描くことは感動を見つけ出すこと。その時々に出会った想いを備志録的に綴ります。




■変なHNですがネットを飛び回るには便利な南米の鳥です(笑) 観掛けはこんな姿でも、いたって小心者です。 気まぐれな更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。

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