今年もアト僅か
今年もいろんな事がありました

よかったこと、悪かったこと…
終わりがあれば、始まりもあって、
プラス、マイナスのバランスが、上手く取れていたような気がします。
今のご時世『可も無く不可も無く』が一番ベターでよいのかもわかりませんね。 
大掃除の手を止めては、過ぎ去ろうとする一年を
ぼんやり振り返る何時もと変わらない年の暮れです。

このブログ、気まぐれで勝手な絵描きの独り言ですが
今日まで我ながらよく続いたものだと思います(笑)
何処の誰が覗いてくれているのか分からないまま、全ての方に感謝します。

Xmas.jpg

これからXmasや年末年始と賑やかな行事が続きますが、
インフルエンザも流行の兆しです。
どうか健康には充分気をつけて、元気で乗り切ってください。
そして皆さんにとりまして来る2011年が良い幕開けになりますように
お祈り申し上げます。


一年間ありがとうございました。
また来年も宜しくお付き合いください<(_ _)>


【2010/12/21 13:04】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
嫁いだ娘と再会
過日娘の嫁ぎ先まで夫婦二人で出掛けた。

新幹線に乗ってしまえばすぐとはいえ、気軽に出掛けられるものでもない。

半日ほど皆で食事などしながら過ごした後夕方には帰ってきた。

駅を離れるホームでドア越しに見送ってくれる娘の姿を見て、

改めて娘が別の家族になったことを実感をした。

ドアが閉まり走り出した後、私たちは夕闇が迫る車窓の外を見ながら無言だった。

出掛ける前の手荷物が軽くなった分、帰りは寂しさが重たかった。


【2010/12/14 11:12】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
天職
最近はこの言葉をあまり聞かないが

辞書で調べると『天から与えられた職業』と書いてあった。
誰かに言われたわけではなく、生まれて既に決っていた仕事ということだが
今の世の中でそう思える仕事に就いている人は一体どれだけ居るだろうか?
人生の三分の一を何等かの仕事で費やす比重は大きく、それは人生全般にも影響する。
若い頃はあまり深く考えず偶然に就いた仕事であっても、
それが会社勤めなら定年まで。もし定年がなければ死ぬまで続くことになるのだ。
途中で家庭を持つことになっても、或いは転職する事があっても
生活の為に何等かの職業に就かねばならない。
必ずしもその仕事が生き甲斐とは限らず、単なる食い扶持稼のようにしか思えないこともある。
現実の殆どの人は暮らしを維持する為に半ば仕方なく働いているようなものかもしれない。
ならば仕事は仕事として割り切って、日々の生活を大事にするという人もいるが、
格好よく頭では切り離せても実際にはなかなか難しい。
仮に金を稼ぐためだけの仕事と割り切っていても、その仕事が順調でなくなれば、
即生活に響き本人は勿論、家族にも影響が及ぶのである。
仕事以外に趣味や家族と余暇を楽しむと言っても、仕事が破綻すればその生活さえ
維持することさえも出来ないのが現実で、精神的にも肉体的にも大変なことになる。
適当に働いてなどとそんな生半可な気持ちでは生存競争を賭けた闘いに生き残ることも出来ない。
仕事に遣り甲斐を見出し、精一杯頑張れてこそ自分自身も家族も安泰なのである。
人生の全てが仕事だとは言わないが、嫌でも比重を占めてしまうことを考えれば、
出来れば『これが自分の天職だ』と思える職に就くに越したことはないと私は思う。

だが今の時代は昔と違い、集団ではなく個人が尊重されるようになった。
その反面個人の人生感や職業意識が希薄になる傾向にある。
『自由の中の不自由』が、返って無気力になるのは皮肉な現象で、
特にやりたい職(仕事)もなく、将来の夢すら持とうとしない若者が増加している。
時代と共に何が人生を賭けるに値するのかを決めるのが難しい時代。
お金さえ稼げれば一時期を契約で働いて、契約が切れるとまた次の仕事を探すという人も増えている。
終身雇用が崩壊して欧米形になりつつあるのか?適当に働いて適当に暮らせればそれでいいのか?
それでは恐らく天職など見つかるはずがない。
生活の基盤を確保するためには仕事は大事なことだと解っていても、
肝心のその職を定めなければ始まらない。
世の風潮がどうであろうと、決めるのは自分である。
そして一旦決めたからには歯を食いしばってその仕事に邁進する気概を持つべきである。
他人と比べてではなく自分が生甲斐を見出し、運命共同体である家族もそれに同意してくれて、
はじめて胸を張って堂々とした悔いのない人生が送れるのではないだろうか。
どんな形にしろ生きて行かねばならないのなら、受け身で嘆いても始まらない。
贅沢を望んでも愚痴を言っても切りがない。
ならば今やるべき仕事に全力を尽くす以外にないのである。
意欲を持った繰り返しの連続が、やがて自信となり天職だと思えるようになるのではないのか。
何があってもその仕事が本当に好きであれば、その人にとってそれが天職なのである。

もし私が絵描きになってなかったら、いったい何をしてるだろうか?
今更他の職業など想像もできないが、おそらく普通のサラリーマンは勤まらなかっただろ。
具体的な道筋が明確にあったわけでもなく、貧しくて美術学校へも行けず
独学独歩で絵の道へ突き進むしかなかった。
それはけして楽な道ではなかったが、特別苦労をしたとも思ってもいない。
疑問や不甲斐なさも自分の置かれた立場では当然のことで、言わば自業自得だ。
天職などと大袈裟なものではないが、他の仕事は全く考えず『これしか無い』と決めていた。
ひたすらこの道を歩き続けて現在に至るが、私のような楽天的な生き方がベストだとは思わない。
たまたま運が良かっただけかもしれないし、ひょっとして別に違う道があったかもしれない。
だがそんなことをあれこれと思うより、これが自分の天職だと腹を括った方が迷わずに済む。

何の為に働くのか(私で言えば絵を描くのか)を考えると、自分の人生感まで見えてくる。
『好きな事が出来ていいですね』とか『趣味と実益を兼ねたいい仕事だ』とと言う人もいる。
確かに嫌いではないが、ただ好きなだけでもやってられない。
ただひとつ言えることは、好きなことならどんな苦労も我慢が出来ることで
これが天職だと胸張って言えて、その迷わない気持ちが、貫く原動力になったと
いまの自分自身を振り返ってみて思う。
思い通りに成ら無いのが人生なら、思い方次第でなんとでも成るのがまた人生であ。

【2010/12/13 23:39】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
個展の後の感慨ひとしお
別のところでも少し書いたことですが

私がまだ4.5回目くらいの個展の折からお付き合いを頂いている水彩画の大先輩と
今回久し振りにお会い出来ました。
もうお幾つになりましたか?とお尋ねすると88歳とのこと。

DSC04929近藤先生88歳

『ここへ来る前にも門下生を連れて一仕事(スケッチ)を済ませて来た』と矍鑠と仰る。
お酒も煙草も以前と同じで相変わらず豪快でした。
その大先輩が『あんたの描く絵が20年以上経って、ようやく解った』しみじみと
語っておられたのを、嬉しく印象に残ったものでした。
ある方が私を見て『会う度毎に年々若々しくなる』と仰ってましたが、別段意識をして
いるわけではないのですが、作家たる者は実年齢はともかく精神(気持ち)が老け込むと
良い作品は描けなくなるとは思っいてます。
地元の人も行かない様な極寒の地に、二の足を踏むようになればお終いかと(笑)
この大先輩には及ばずとも、私もまだまだ現役で筆を執り続けられそうな
そんな勇気を貰ったような気がしました。

長く続けていると嬉しい事ばかりではありません。
何人もの親しい絵描きさんや知り合いが亡くなるのを見ることになります。
『生老病死』は産まれた瞬間から定まっていて誰も避けられない…淋しいものです。
何かで一度結んだご縁がいつの間にか途切れてしまうのもまた人の常かもしれません。
こうして私はネットで10年以上も飛び回っていても、
所詮は希薄なネット故にお付き合いは長くは続かないものです。

様々なことをあれと思いながらも、私自身は何があってもこれからも
変わらずに飛び続けたい。
それが先の大先輩をはじめ、多くの方にお応えする道だと改めて思います。


【2010/12/08 11:30】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
最新コメント

最新記事

月別アーカイブ

カテゴリ

コンドルのプロフィール

コンドル

Author:コンドル
透明水彩画のブログです。
絵を描くことは感動を見つけ出すこと。その時々に出会った想いを備志録的に綴ります。




■変なHNですがネットを飛び回るには便利な南米の鳥です(笑) 観掛けはこんな姿でも、いたって小心者です。 気まぐれな更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる


| ホーム |