今日もまた呟く
 ■情けとは慈しむ心である。
人や自然の全ての物事に対して、深い情(なさけ)を持つちたい。
稚才無学ながらも精神だけは何処までもいつまでも純粋でありたい。
心の底で何を願い、何を理想にして生きるのかを考え続ける人生でありたい。
護るべきものは誰が何と言おうとも、厳として護り抜く強い精神を持ち続けたい。
打算と計算に明け暮れ、日和見主義の貧相な世渡りだけはしたくないと思う。

■汚れたユニホーム
スポーツ試合を観ているとき、
泥で汚れたユニホームを着たチームの方が何故か美しい。
逆にあまり汚れていない綺麗なチームの方が、弱弱しくて美しくない。
これはどんな世界の真理にも通じるようだ。
苦戦、苦労が多くなれば、その分傷もつき汗で汚れてフラフラにもなる。
だがそれは物事の見えない部分の糧となって逞しさが増す。
観掛けを気にして、無傷で無難に過ごせば、汚れることもないだろうが
そんなものにはスポーツはおろか、誰も喝采をおくらない。
勝ち負けは二の次で、人は無心に戦うその姿にこそ共感が出来る。

■アリジゴクという昆虫がいる。
幼虫のうちは地中の下で獲物待ちうけ、砂地を利用して容赦なく引きずり込む。
聞くだけでも恐ろしげな名前のアリジゴクだが、時が経てば真夜中に人知れず
成虫となって地上へ羽ばたくとか。
名前も『薄葉陽炎』という名に変わり、稀有の美しい蝶に変身するのである。
誰の目にも留まらずとも、或いは普段の姿はどうであろうとも、
いざという時には堂々とした自信を持った行動を取りたいものだ。
自身を飾る信念は便乗やポーズではなく、本物の姿で精一杯羽ばたくこと。
そのときはきっと自然も人も黙って応援してくれると信じたい。


【2012/04/28 19:22】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
思い出
思い出

あの東北大震災で命や物が数多く流され失いました。
残された人にとってはどれひとつとして掛け替えのないものばかりで
それらは全ての思い出も一緒に失くしてしまったことになる。
瓦礫の中から必死でアルバムを探す人の姿がありましたが、
そこには家族と過ごした思い出だけでもせめて取り戻したいという
悲しくも切実な思いが伝わってきました。

人間にとって最後に何が一番大切なものなのか・・・
それは家族を繋ぐ共通の思い出のように思います。
時折々に何気なく写す写真は、
シャッターを押した瞬間からは過去のものになり、
記憶の遠くに押しやられるかもしれませんが、
年月が経つほど確実に光彩を放つことは間違いありません。
だからこそ、家族との絆が詰まっているアルバムをと・・・
胸がつまる光景でした。

生きている限りは忘れてしまいたい思い出もあるかもしれません。
しかし後の現実がどうであれ、その時の写っている姿は、
それはそれで真実の姿だったはず
幸せで嬉しくない思い出など残したいとは誰も思わないですから。

人の記憶力が歳と共に薄らぐものなら
思い出を呼び起こす糸口の為にも
私は出来る限り多くの写真を撮るようにしています。
そのぶん自分が写る機会が極端に少なくなっても
ファインダーを覗くのは紛れもなく私で
それを当事者も覚えてくれていればそれで十分だと思うのです。


【2012/04/21 22:30】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
時代遅れの拘り
ある人との会話の中で
『これだけネットが普及してくると、先生のところにも個展の案内がメールで届くことがありますか?』と聞かれた。そう言えば、あまり考えたことは無かったが、日に何十通ものメールが届くけれども、その関係のメールは過去に一度も(誰も)無い。立場を変えて私からもそんな案内をメールで済ませたことはない。煩雑なDMの発送作業は確かに経費も手間も掛かる。メーリングリストで一斉に配信すれば事足りるのかもしれないが、それではのこちらの意気込みが相強調文手に伝わり難い。いくらネット社会になったといっても、まだまだ総ての人にまでとは言い難いこともある。(私が個展のDMを郵送するときは千通を超える)
偏見かも知れないが、個展の案内と激安旅行ツアーの案内とはちょっと違うのではないかと思うし、それは結婚式の招待状を手軽なメールで済ませる時代が来るとはとても考えられないのと同じである。数の多い少ないの問題でなく、手間暇を掛ける誠意と熱意の有る無しである。

会話した相手曰く
『私も沢山のDMメールに混じってもしそんなメールが届いても、最初から見落とされても別に構わないと思っているような人の個展には行きません』と明快に語っていた。それでも最近の若手の中には割り切る者も居るようだが。"事と次第"を使い分けてこそ、一様の大人の社会人ではないかと思う。
虚礼廃止と言いながらも年賀はやっぱりハガキで出さなければ年が明けないと頑固に思う方が、時代遅れの古い人間だととかく言われがちだが、便利な道具も使い方を間違えば思わぬ誤解を招いたり、下手をすれば人格さえ疑われかねない。そうならない為には、古臭くさくてつまらぬ拘りも必要ではないだろうか。



【2012/04/19 22:35】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
飛行雲

飛行雲

芝生の上に寝転がって桜を見上げていると

視界の中に白い飛行雲が飛び込んだ。

日々気ぜわしくて、青空を見上げることもなく

どうでもよい足元ばかりキヨロキヨロ見ている自分が

やけに小さくみえた。


【2012/04/18 10:44】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
独占意欲?
昨年の世界の絵画競売市場で中国人画家の作品が、スペインの画家ピカソの作品を抜いてトップとなった(ちなみに売り上げ高は約443億7千万円)中国の絵画競売市場はここ数年来、取引額世界一の活況を呈し、トップ10のうち6人が中国人画家名を連ね、3位が米画家アンディ・ウォーホル。過去14年間で13回トップだったピカソは4位だった。

ノルウェーの画家エドバルト・ムンク(1863~1944)の代表作「叫び」が競売で64億円の値が付いたとか。ムンクは同名の作品を4点描いたが、そのうちの3点は美術館の所蔵で、あとの1点をノルエーの実業家が所蔵していたが、競売で売却した(現物の作品はパステル画)ムンクといえば美術の教科書にも載っているほどの有名な作品だが、それでも言わばたかが一枚の絵である。それが64億円・・・極貧に苦しむ多くの画家たちにとっては、庶民が苦しんでいるなかで、大手銀行の幹部が巨額ボーナスを得るのを横目で見るのと似たような状況が現実に起きるのである。

こんなニュースが流れるたびに、私はふとは疑問に思うことがある。本来画家の精神の発露に過ぎなかった作品が、後世の第三者の思惑や、時代の経済状況によって勝手に価値が左右される。希少というだけでなら、ダイヤなどの鉱物と変わらないし、それを欲しがる者が多ければ自然に値が上がるのは自由経済社会の仕組みだと簡単に認めてしまってよいものだろうか?。
経済で台頭してきた国の画家の作品が、にわかに注目をされて世界市場でも高値で売買される。。。その国の金余り現象が最後には文化、芸術にまで手を伸ばす・・・そんな裏の世界が見え隠れする。昔から芸術の価値がそれでも存在してきたことも事実だが、私にはいつも納得がいかない。

下世話な話かもしれないが、人間の本能のひとつとして、珍しくて希少なものは自分独りで独占して自慢したくなる。その優越感は裏を返せば劣等感と表裏一体で、無いものねだりも人間の哀れな姿の一面とすれば、古今東西で昔から繰り返されても別に驚くこともないのかもしれない。その大元にあるものは『審美眼より札束』という貧しい人間の心根で、その畑を耕さない限り、庶民と掛け離れたところで芸術が金儲けの道具にされ続ける。
芸術で飯を食う輩がいれば、芸術では飯が食えないと嘆く者もいる・・・世の中人様々ということか。


【2012/04/12 00:14】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
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透明水彩画のブログです。
絵を描くことは感動を見つけ出すこと。その時々に出会った想いを備志録的に綴ります。




■変なHNですがネットを飛び回るには便利な南米の鳥です(笑) 観掛けはこんな姿でも、いたって小心者です。 気まぐれな更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。

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