それでも上達して欲しい

私の教室には年配の生徒さんが大勢いる。
人生の大先輩であるこの方達に若輩者の私が何時も言う言葉がある。
『○○さん、もっと肩の力を抜いて気楽に描いた方がいいですよ・・・』
○○さんは元々が律儀で真面目な人で、普段から何事によらずきっちりしている。
他の年配の他の生徒さんも見ていると、同じことがいえる。
つまり歳を取るといい加減や適当ということが自分で許されないらしい。
それはけして悪い事ではないが、絵を描く事にそれが優先してしまうと、
絵面(えづら)が面白くなくなってしまうのである。

一般的にも年齢を重ねると多少頑固にもなったり、
頭で解っていても思うように手先が動かないこともあるかもしれない。
だが創造性とは自由にのびのびと表現することでもある。
年配の生徒さんは、そののびのびした表現が出来ない。
気持ちに余裕が無くなるのか?失敗が許せないのか・・・
『先生もいつか自分と同じ歳になると分かりますよ』と言われると
『そんなものかなあー』と次の言葉が出なくなる。

たとえ理屈が正論でも、また若い頃にはなんなく出来たことでも、
歳と共に難しくなることが増えるのも承知の上で、
また自身の寛容の無さや、了見の狭いことも反省しながら、
それでもなんとか上達してもらいたいと心を砕くのである。
教える事は本当に難しい。

【2012/05/27 23:43】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
喉元過ぎれば暑さ忘れる
インドのヒマラヤの山頂に住む鳥がいる
山の上の夜の寒さは厳しく、その鳥は震えながら
陽が昇れば今度こそ下界に巣を作ろうと思う
ところが暖かな昼間になると、昨夜決めたことを忘れて寝てしまう。
やがて日が暮れてまた寒い夜が訪れると、明日こそはと・・・
こうしてヒマラの鳥は一生涯この繰り返しを続ける。
『雪仙の寒苦鳥』という古いインドの譬え話である。

人は同じ過ちや辛い事は、もう二度と懲り懲りだと思い
一大決心をして繰り返すまいと必死に努力する。
しかし状況が落ち着くと、その時の辛い思いを忘れてしまいがちである。
易きに流れるのは人の常とはいえ、その心に打ち勝たなければ
後悔だけが後に残るつまらない人生になりかねない。
この話は、厳しい状況のときには必死で頑張るのは当然として、
それを乗り越えたときになお一層油断をしてはならないことを教えている。
社会も同じで、一時は関心を示していても
時が過ぎれば何もかも忘れてしまうようではあまりに軽い社会だ。
あの過酷な3.11の悲劇も・・・


【2012/05/26 16:11】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
所狭しと並べる
私は仕事柄展覧会を観る機会が多い。
グループであれ個展であれ、会場の壁面に隙間無く掛けられた作品の数に
驚くことがある。それは作品を鑑賞するというより絵を見せられるという光景なのである。
限られたスペースに出来るだけ沢山の労作を来る人に見て欲しいと思うのは、絵描きとして
理解できないわけではないが・・・それでは主体者が自分になってしまっているのではないか?
ゆっくりと作品を味わいながら鑑賞(飾られた作品と対話)してもらわなければ、展覧会の
本来の意味が果たせない。具体的には壁面の絵が一度に2~3枚視野に入ってしまと
観る側からすれば明らかにマイナスで絵柄によっては目が回る(笑)

今日もそんな個展に出掛けた。
個々の作品は素晴らしいものだったが、残念なのはこの見せ方である。
それを『意欲的』と捉えるか『暑苦しい』と捉えるかは感覚的なものなので、
私が口を挟むことではないが、やっぱり美味しそうな料理はゆっくり味わって食べたい。
てんこ盛りに次々と出されると、いささか閉口するのと同じである。
グループ展ならともかく、せめて個展であれば誰にも憚らず自分一人で設計できる。
来観者には出来るだけ観易い展示を心掛けるのも絵描きの勤めではないだろうか。
第一折角の作品もあれでは窮屈そうで可愛そうだ。
敢えて生意気な苦言を呈すれば、そんなことに意識が向かない作家の描いた作品は、
観る者の心を打たず、テーマさえも感じられないものになるのも当然の結果といえる。
例えば悪いが、まるで棚卸しのバーゲンセールのように見えてしまうのが悲しく残念な限りだ。

何れにせよ絵は描いてしまえばそれでお終いではなく、今度は如何に心地よく鑑賞して
貰えるかを考えなければ、本物のプロの絵描きの発表の場とはとても言い難い。
昔から知っている作家で以前からも伝えてはいるがなかなか解ってらえないらしい。
まっ、余計なお節介を言う私の悪い癖もよくないし(笑)
他人のことは分かっても、自分のことは分からないというのも恥ずかしいので、
明日は我が身と充分気をつけたいと改めて思った次第。




【2012/05/24 21:21】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
褒め殺し
褒め殺しという言葉が以前流行った。
最初に誰が言い出したのか忘れたが、
褒め言葉も余り度を越すと逆に相手を馬鹿にしたようで顰蹙をかう。
社交辞令やおだててその気にさせるなどというのは論外で、
本心から出た『激励の言葉』でなければ相手には通じない。
よい点を素直に認めて心から賞賛して上手に褒めるのは大変難しい。
いくら本心でない美辞麗句を並べてヨイショしても、
『あんな奴から褒められるようでは俺もいよいよおしまいだ』などと、
日頃から抱いている相手の印象で、同じ言葉でも真逆に取られる場合もある。

忠告や批判も勇気がいる。
誰も敢えて人から嫌われることは言いたくないもので、出来れば知らん振りをしたいものだ。
しかしこれもやっぱり相手のことを思えば知らん振りは良くない。
悪意のある批判や社交辞令的な事なかれ主義も如何なものか。
批判するのも褒めるのも、その根底にお互いの信頼関係があって成立する。
人は謙虚な自然体でさえあれば、素直にもなれ勇気も出るはずだと思う。



【2012/05/18 23:48】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
ぶつぶつ
汲めども尽きぬ才能などあるわけがなく
叩き出して、絞り出して、挙句は振り回して
まるで安値のクリニングです(爆)

目的地があってないような
歩いて、歩いて、また歩く・・・
まるで勝ち目の無い歩兵連隊の行進です(^^ゞ
【2012/05/05 00:21】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
昔の名前で出ています♪

■先日こんな記事を偶然見つけた↓
http://www.geocities.jp/hirock1127/kobayashi.html
7年ほど昔ネットで知り合ったある方とがリアルでお会いした時の印象を
WEB上で纏めて書いて頂いたことがあった。
その方との繋がりは途絶えてしまったが、こうしてサイトには今も残っていたのだ。
改めて読ませてもらったが、基本的にはあの頃とさほど考え方に変わりが無い。
いや成長が無いのかもしれないが・・・(^^ゞ

ネットはある意味で恐い。
公開された事柄はサイトが閉鎖されるか、記事を削除しない限り
何時までもネット上をさ迷い続けるのも複雑な心境でもある。
それにしても、
私も随分長くネットを続けているんだなー



【2012/05/02 10:01】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
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透明水彩画のブログです。
絵を描くことは感動を見つけ出すこと。その時々に出会った想いを備志録的に綴ります。




■変なHNですがネットを飛び回るには便利な南米の鳥です(笑) 観掛けはこんな姿でも、いたって小心者です。 気まぐれな更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。

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