決断
全国的に例年に無い大雪で、雪解けにはまだ少し早いが、
小さな春を探しにちょっと出掛けようと準備を始めた。
ところが出発の前日に関東地方の地震のニュース
風邪ぎみだった上に天気も下り坂の模様。
忙しい毎日の限られた時を有効に活用したいという思いは強いが、
無理や焦りはやっぱりよくないと思い用心をして見合わせた。

どんな計画にも余裕を持って望まねば失敗をする。
特に気持ちに余裕が無くなれば、ちょっとした判断を狂わせ
見えるものも見えなくなることがある。
目前で撤退したり、取り止める決断には勇気も要る。
慎重過ぎるのもよくないが、後先考えない行動はリスクが多い。
時(機会)は待ってはくれない。しかしその残された時も大事にしたい。
綱渡りをするほどもうそんなに若くないということかも・・・(^^ゞ

案の定夜半から降り出した雨音を聞きながら、
『やっぱり出掛けなくてよかった』と
独り頷いて納得する管理人なのである(笑)


【2013/02/27 01:08】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
発信力
ショパンのノックターンを聴きながら、
人生はやっぱり美しくて強く逞しくなければならないなどと言っても、
ショパンのどんな曲を聴いているのかは第三者には判らない。
そんな勝手な思いを説明しようとしても所詮は伝わらないかもしれない。
酒の肴の言葉遊びのように、一方通行になるのは空しくもあるが仕方がなく、
他人の人生観とか、感性とはそんなもので、ショパンであろうが、ビートルズであろうが
それを聴いた者との関係が一番大事なのだ。

発信力とは、誰かに何かを伝える力
伝えたい中身もさることながら、何故それを伝えたいのか・・・
そのパワーが自分にあるのかどうかを確かめることではないか。
不確かであっても、共感してくれる人を懲りずに探し続けることだと思う。


【2013/02/25 12:59】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
逃げる月
少し前は年越しだ、新年だと言ってたのにもう2月も後半・・・
今月は28日しかなくとくに早い。

相棒(妻)が最近「毛筆書道」を習い始めた。
かな文字が難しいと言うので、ならばと私も試しに書いてみた。
ところが筆先が思うように走らず我ながら情けなかった。

筆法は水彩画にもあるが、絵は書とは全く違う。
普段生徒には偉そうに『筆先はこうだ』などと薀蓄を語っているが、
慣れないことは誰がやっても出来ないのだ。
何回もやってみることで、いつか出来るようになることを理解してもらう為の
努力がまづ先決だったと反省をした。

春は年度も替わり人の動きも新たに始まる。
我が教室にも、何人かの新人が入門してくる。
果敢なチャレンジ精神を最大に尊重をして、
その意欲を削がない創意工夫の指導を心がけたいと改めて思う。


【2013/02/22 21:56】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
分相応に
分不相応、身の程を弁える・・・
どちらもあまり印象の良くない言葉で、
他人から言われたらムッとくるものだ。
しかし自分で己の器を心得て、必要の無い欲は抑え、
守備範囲内で全力を尽くすことは大事ではないかと思う。
出来ないことを出来ないと悟らず、無用の抵抗は結局無駄になる。
それは何も努力や目標まで捨てるわけではない。
ただその努力ですら分(能力)に相応しなければ所詮は届かない。

今与えられた環境や能力の中で、精一杯頑張ればそれでよいと思う。
逃避的に不可能を望み、それで自分を誤魔化しても仕方がない。
自分に誠実に今やるべき事にベストを尽くすこと。
それはけして逃げることでも諦めでもない。
むしろ自分の器は他人にとやかく言われずとも『自分で決める』という
前向きな宣言だと思えばいい。
今いるところが判らなければ、全力を尽くす術もみつからない。


【2013/02/18 23:55】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
畏敬の念
よく私の描く水彩画は『色を抑えた独特な表現・・・』と言われる。
特に強く意識している訳ではないが、見えたままの色調で描いてもはるか現物には
及ばないので、自分なりにコントロールして描くようにしいる。
つまり描く対象を借りて別なものを描いているのである。色も形も忠実にありのまま
写し取って、それを自分の作品だなどとおこがましくて私には出来ない。
畏敬の念を持って描かせて貰うなら、多少は遠慮して一歩控えめに表現したい。
そんな思いが根底にあるのかもしれない。

いづれにしても、絵は『絵空ごと』で、空ごとである以上は現実の本物ではない。
花であろうと人物であろうと、或いは具象であろうと抽象であろうと、
画面の中に描かれた絵は似ても似つかない別もので、
そこに作者の個性が僅かに入り込んでなんとか作品になるような気がする。
さも自力で描いたような錯覚をして、それを今度は鑑賞者に押し付ける・・・
小心者の私にはそんな度胸はとてもない。


【2013/02/14 23:26】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
カリスマ
一昔前からカリスマ○○という言葉をよく耳にする。
その世界では超人気でファンを集める異常な加熱ぶりに不自然さもを覚えるが、
神の手の技は確かにそれらしく見えて巧みに自らのパホーマンスを
人前で繰り広げるのである。
例えばカリスマシェフはタレント顔負けのトークで客の前で調理を見せる。
客はそのショーと料理を金に糸目をつけずに食するのである。
本来は仕事の中身のみが評価されていたものが、他の見せるという要素を加わえて
上手く時代に乗ると評判を呼んで人が集まりカリスマが誕生する。

しかし一時的に話題になったものが、その後何故か続かないのを不思議に思う。
あれほど話題の人気者が何時の間にか姿を消してその噂すらも聞かなくなってしまうと、
熱狂的なファンもまた何処へ行ってしまう。
浮き沈みの激しい芸能界ならいざしらず、元来が目立たない地味な仕事が、
一躍脚光を浴びてカリスマとまで呼ばれるその影には、周囲の様々な思惑が働き、
本人の意思とは別な方向へ進んでしまうことも充分あり得ることだ。
それを本人がどう自分の中で消化するのかは自由である。
しかし世の中全てが『売れた者が勝ち』という風潮にはちょっと首を傾げたくなる。

ある伝統的な特殊な世界では『家元』という制度があって、
その大先生は周囲から神様の様に奉られ、まさにカリスマ的存在で君臨する。
師匠が移動すれば弟子達も追っかけよろしくついて回わり、
その模範演技に歓声を上げるのである。

時代の変化や社会の流れは無視出来ない。
一時的なの流行に惑わされて本質を見間違えることがあってはならない。
カリスマ=(イコール)一流とはけしていえないだろうし、
自らの審美眼を持たないところに本物も見えないのではないだろうか。
どんな分野であろうと観客を魅了するにはそれなりの技量やパワーが必要である。
だがその中身も普遍で継続性がなければならない。
噂が消えること自体がなにか怪しいと思えてしまうのは私の偏見だろうか?
たとえ人が見ようと見まいと、そんなことには無頓着で自分の仕事を愚直に専念する。
それが名実共に本物への道ではないだろうかと私は思う。



【2013/02/05 23:10】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
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透明水彩画のブログです。
絵を描くことは感動を見つけ出すこと。その時々に出会った想いを備志録的に綴ります。




■変なHNですがネットを飛び回るには便利な南米の鳥です(笑) 観掛けはこんな姿でも、いたって小心者です。 気まぐれな更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。

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