絵描きが絵描きであるために
仕事の合間を縫って信越地方に出掛けていた。
山間を抜けた里にもようやく春の兆しで、根雪が解けたさの雪解け水ず
いたるところで音を立てて流れていた。きっとこの水が大地を潤して米どころの
大きな要因になっていることにも頷ける。一時は軒下までも降り積もったであろう積雪も
建物から退き、窓や扉を護るために打ち付けられた横板が見えていた。
北陸の樹木を雪から護る『雪吊』も同様に、
役目をはたしてホッとしているかのようだった。

生存の為には懸命に闘わなければならない。
それが自然であれ、社会であれ対個人であっても、
先に望みを繋げる為にも闘わなければ、大切なものも護りきれない。
どんなに厳しい環境であったとしても、必ずまた春が来ると信じて頑張ることだ。
あの豪雪がやがては解けて実りの糧となるように、耐えた苦労は必ず報われるはず。
遠く日本アルプス峰峯にはまだ相当の雪が残っていたが、
その景色でさえ春の暖かさが感じられるようで気持ちがよかった。

旅から帰るなり今日は市の水彩画講座の生徒作品展に出掛けた。
一年間頑張った生徒さん達の成果を直接会場で観ておきたかったのである。
(そのために旅行から帰って来た)
絵を始めて一年足らずでここまで描けたことを生徒さんは喜んでいたが、
私もそれが一番なによりも嬉しい。
自己満足だと言われるかもしれないが、
絵描きは自分自身のために絵を描きながら、
同時に周囲の人の心にも絵を描く・・・そんなことを多少は志さなければ、
この世の中で何等の益もない人種になりかねない。


【2013/03/31 00:15】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
つまらない話
駅前にたこ焼き屋がある。
電車を降りるとソースの匂いに誘われて
つい家族への土産に時々買ってしまう。
このご時世で原材料も値上がりして経営も楽ではないらしく、
最近ソースとかつおぶしの量が減ってきている(^^ゞ

そういえば、昔はたこ焼きは子供の小遣いでも買えた。
10円玉を握り締めて、近所の駄菓子屋に行けば
おばあちゃんが一円の飴を一個おまけしてくれた。
紙袋に入れて貰ったその菓子を大事に、夕方まで子供達は
外でドロンコになって遊んでいたものだ。
やがて街角の街灯に灯りが点る頃になると、
子供達はそけぞれの家に帰り、団欒の時を過ごした。
3丁目の夕日ではないが、古きよき時代の価値観が変わり
子供達から大事なものを奪い去った。
時の流れを逆行させることは出来ないが、
これを『自然淘汰』というには
あまりに空しい現実ばかりで切なくなる。

路面電車の横切る通り

こんな商店街からも子供達の姿が消え
商店街自体が寂れ始めた。
何もかもが大型ショッピングセンターに移り
店の個性も店主の顔も見えなくなってしまった。
都会のゴーストタウン化は人の心にも忍び寄る・・・


【2013/03/24 23:21】 デジコマ | トラックバック(-) | コメント(0) |
共感の対話
個展会場にとある会社の社長さんが訪れてくれた。
長引く不景気で会社の経営も苦しく息詰まっていた折で、
一枚の作品の前で立ち止まり眺めていた。
『この作品いいですね。じっと観ていると未来に希望が沸いてくるような
気がする』と言われて即購入して戴いた。
その作品は、雪の積もる浜辺の水平線のその先が薄らと赤味が差して
今にも夜が明ける瞬間を描いたものだった。

26ktn-5.jpg
絵描きは特定の人の為に絵は描けない。
しかし誰かが共感してくれるかもしれないと思いながら
描くことは可能である。
それががどんな風に伝わるかは観る人の個々の感性にもよる。
観る人の心のありようが絵に投影されて、その人だけに描き手も
意図しないメッセージが聞こえてくることもかもしれない。

漠然と描くのではなく、何等かのメッセージを込めて発信する、
作家が描く作品とはそんなものではないかと私は思う。
たかが一枚の水彩画で、その人の何かが大きく変わるわけでもないだろうが、
感じ取って頂いた何等かのささやかなパワーが何かで生かされるなら
これ以上の作家冥利に尽きるものはない。

何れにしてもものづくりとは、送り手と受けてとの会話で成り立ち
一方通行など有りえないのだ。
作家はその対話を糧にしてこそ、更に精進が出来るのである。

【添付の作品は別のもの】


【2013/03/17 22:25】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
ある花屋
花屋さんも最近ではいろいろな形がある。
とある街を歩いていると、表がガラス張りで現代的なインテリアの
珍しい造りの花屋さんを見かけた。
店の中は花屋には似つかわしくないカウンターがあって
その上で男性が綺麗な花を生けていた。
そして客らしい女性がコーヒーを飲みながらその様子を眺めていた。
客の目的や好みを聞きながら、花の組み合わせを実際に生けて見せている。
例えば『あともう一本こうして足してやるとこんな風になりますよ』とか
『器はこんな感じのものを』などと言いながら、客が望む花束を仕上げていく。


10-39.jpg
一日に予約何組という料理店があって、
最高の食材を使って客の目の前で調理するという店は昔からよくあるが、
なんとなくそんな雰囲気に似ているかもしれない。
やがては枯れてしまう花は今や高価な品。
花の香りと珈琲を味わいながら、優雅ななひと時を過ごす・・・
無粋な私などとてもそんな店は敷居が高くて入れないが(^^ゞ
そんなことよりも、こんなご時世だからこそ商売の仕方も通り一遍ではなく
あの手この手と工夫しなければ生き残れないのかもしれない。
暫し店の外から眺めながらそんなことを思った。

  
たかが花売り なれど花売り


【2013/03/15 22:24】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
プロの仕事
最近のTV番組を視ていると、その放送の内容をネット情報から得て
作られていることが多い。放送の為のネタ探しの選任のスタッフが、
日夜、面白そうな話題を物色をしている様が見えたりする。
情報収集という点では確かに居ながらにして便利なのかもしれないが、
これではちょっとプロとして怠慢、手抜きの番組制作ではないだろうか?
制作経費節減という意味から、安直で安上がりな手法かもしれないが、
もうちょっと何とかならないものだろうかと思ったりする。
変わったことや、珍しい事をネットから見つけ出すくらいなら誰にでも出来る。
早い、簡単、便利というネット社会は、マスコミや放送の世界まで
素人(一般)の情報に頼る時代になったということか。
それともネットという発信力を手にした無数の一般人を
今や無視出来ない時代になったのか?

それはともかくとして、
ネットにどっぷり浸かっている私が、こんなことを書くのも矛盾するかもしれないが、
幾らこんな時代になったとは言え、あまりネットに依存し過ぎると問題が生じる。
やっぱり自分のやるべき仕事は、自分の足で必死になって探すべきだろう。
それには時間や労力、無駄なことも沢山出てくるかもしれない。
幾ら便利で重宝するといっても、ものづくりの根幹に拘わるネタ探しに手を抜くと
それはもうプロの仕事とはいえない。
『他人のフン○○で相撲を取る』という言葉もあるが如何なものか?

聞く所によると、近々選挙法も改正されて、
インターネット上でも選挙活動が認められるようになるとか。
ネットを制する者がやがて政治も動かす・・・
なにもかもが様変わりするのは時代の趨勢で仕方が無い部分も判るものの
古い頭の私は、得にもならない疑問が時々湧くのである。


【2013/03/10 19:58】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
筆跡
昔は驚くほどの達筆だった人が、
歳を重ねる毎にその筆先が乱れてくる。
乱れるとは、集中力や手先の運動機能の低下などから、
筆致に纏まりが無くなり粗雑になってしまう状態をいう。
文字に年輪が表れて、それなりに枯れた味わいになるのならよいが。。。
偉そうなことは言えないが、気持ちの老化は即、筆致に表れる。
見栄でそれらしく誤魔化すことはほぼ不可能で隠しようがない。

どうやら脳と筆先は連動していて、
脳が老化するにつれて、手先の微妙な動きが文字の上に表れるようだ。
それとは逆に老いても矍鑠とした人の筆致は勢いがあって元気がある。
人事ではない。私自身も絵描きの端くれである以上、
もしそんな兆候が出だしたら、
潔く筆を置く覚悟だけはしておきたい。
自身でその判断が出来なくなってまで
この世界にしがみつきたいとは思わない。


【2013/03/08 11:00】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
互格稽古
某国営放送の深夜番組で、
剣道の世界には『互格稽古』というものがあると話題になっていた。
段位の上の者が下のクラスに稽古をつけるとき、
上位者は下のものと同じ気持ちになって稽古をしないと下位の者は伸びない。
下位の者になど絶対に負けるわけがないという気持ちでは、
相手はいつまでも強くはならないとい。
自分が相手と同じ立場に立つことで、相手も初めて真剣に立ち向かってくる。
だから強くなるというのである。
けして自分のレベルを落とすという意味ではなく、
相手の立場に立つという思いやりの心が通じるのではないだろうか。

とかく我々は相手よりも優位にいたいと思ったり、強がったり虚勢を張ったりする。
それでは相手に反発や警戒心、或いは萎縮させたりする結果になる。
同じ目線になることは難しいことことだが、
後輩を伸ばす思いやりとはそんなものかもしれない。

曲がりなりにも私は絵を人様に教えている。
生徒さんの中には生まれて初めて絵を習う人もいる。
そんな人達と日々接しながら、果たして自分はその任に恥じないか。
上達を阻むようなことはしていないだろうかと考えさせられた。

教え導くことは、自分自身と如何に正直に向き合うかである。
そんなことがこの歳になってようやく判りかけてきたような気がする。
まさに教えることは二度学ぶである。


【2013/03/05 23:09】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(4) |
一期一会
今は遠い昔
一人娘がまだ小学校に通う頃、時々担任の家庭訪問があった。
私はその頃から自宅で仕事をしていた。
だから尋ねて来た先生と必然的に私も挨拶することになる。
今も覚えているのは、話が弾んで大抵の先生の訪問の予定時刻が
大幅に伸びてしまうことだった。
ある年は国語の先生、またあるときは美術の先生だったりして、
話題は子供の事はそっちのけで(絵描きという職業がよほど珍しかったのか)
最長時間は約2時間・・・後の生徒宅には多大な迷惑をかけてしまった(笑)

一期一会という言葉もあるが、
私は初対面の人には特に、これが最後のつもりで話すようにしている。
通り一遍の社交辞令ではお互いに何も判らない。
そんな色んな先生の中には、今でも娘よりも私とのお付き合いが続いている先生も居て、
年に一度の個展にも来てくださる。

人と人との縁というものは、実るときもあれば実らないこともある。
それは当然で仕方がないことでも、出会えた人との縁は、
たとえ其の後はどうであれ大切にしたいと思う。
そんなひとつひとつが、年月を経て思い出に残ることもある。
毎日を生きるとはそんな積み重ねではないだろうか。

【2013/03/03 21:45】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
ネツトショッピング
今やネット社会では買い物の仕方が昔と随分かわりました。
時間をかけて歩き回り、そのあげく何も見つからず疲れて帰るか、
折角来たから適当な妥協の品で我慢する。
誰にでも経験のあることですよね。

ところが今では自宅に居ながらして、ありとあらゆる品物を
わずらわしい定員さんの必要なセールスも気にせず(笑)
手当たり次第に物色出来るネットショップが目白押し。
便利な時代になったものです。
でもネットの便利さにはちょっとした慎重さが必要で、
手軽さ故についいらぬ買い物をしすぎるという心配もあります。
『99%オフ』は論外としても、45%引きなら・・・悩ましいところです(笑)
そこで一句


珍しい掘り出し物をみつけしが あとの一押しクリックできず
【2013/03/02 11:01】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
最新コメント

最新記事

月別アーカイブ

カテゴリ

コンドルのプロフィール

コンドル

Author:コンドル
透明水彩画のブログです。
絵を描くことは感動を見つけ出すこと。その時々に出会った想いを備志録的に綴ります。




■変なHNですがネットを飛び回るには便利な南米の鳥です(笑) 観掛けはこんな姿でも、いたって小心者です。 気まぐれな更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる


| ホーム |