良い歌ですね
十九の春

作詞:沖縄俗謡歌・補作詞:本竹祐助 作曲:沖縄俗謡歌/歌・田端義夫





私があなたに ほれたのは
ちょうど 十九の春でした
今さら離縁と 言うならば
もとの十九に しておくれ

もとの十九に するならば
庭の枯木を 見てごらん
枯木に花が 咲いたなら
十九にするのも やすけれど

みすて心が あるならば
早くお知らせ 下さいね
年も若く あるうちに
思い残すな 明日の花


一銭二銭の 葉書さえ
千里万里と 旅をする
同じコザ市に 住みながら
あえぬ吾が身の 切なさよ

主さん主さんと呼んだとて
主さんにゃ 立派な方がある
いくら主さんと 呼んだとて
一生忘れぬ かたおもい

奥山住まいの ウグイスは
梅の小枝で 昼寝して
春が来るよな 夢をみて
ホケキョ ホケキョと 鳴いていた




【2014/06/30 18:54】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
高校生の会話
■電車の中で女子高校生が
『あいつめっちゃ嫌いで口も利きたくないので無視てやった』と言うとそれを聞いていた別の女子高生が『あいつは自分も嫌いやけど、会ったら挨拶くらいはするで。それが社会人の一般常識やろ』と。
最近の若者は〇〇でとよく言うが、こんな会話を傍で聞いていた私は、中にはそれなりに立派な考えを持つ者も居るのだと妙に感心をした。確かに腹の立つ出来事は沢山ある。しかしそれにつられて礼儀や常識を失えば自分も同じになる。その友達に色々と忠告をし女の子が最後に、それが一般常識だとと締めくくると、聞いていたヤンキー女子高生は『やっぱそうかー』と納得していた様子。社会の常識がすべて正しいとは云い難いが、少なくとも考えを正してくれる友を持つことはつまらぬ勉強以上に大切なことだと思った。
そして電車のドアが開くと、二人の女子高生はヘッタンコの鞄をぶら下げてまたホームに消えて行った。

【2014/06/27 21:00】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
度量の広さ

ある有名な画家の個展で生の作品をみて
思わず一点買ってしまったという人がいる。
その同じ人が私の作品をみて
『〇〇氏とはまた違って、これもええなあー』と衝動買い。
名前を出すのは控えるが、その作家と私とは全く正反対で
知名度も比べものにもならない。
だが本当の愛好家とはこんな人かもしれないと思った。

付けられた値段や知名度でもなく、
他人の評価や評判にも惑わされず
自分なりの価値観で 純粋に作品だけを観れることは
簡単なようで容易ではない。
まして自分も絵を描く立場となれば
描き手としての主観も入って当然かもしれない。
また批評はしても、作家自身が自分以外の 作家の作品を
お金を出してまでは買わないのがこの業界の常である。
物事に好き嫌いがあるのは仕方のない。
しかし例え真逆な作品であっても、
その中に惹かれる部分を 探し出せるだけの
度量の広さと勇気は常に持ちたいと思う。

デトロな灯り 


【2014/06/21 10:12】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
不知恩と報恩

■長い人生の途上では様々な人との出会がある。
好む好まざるに係わらず、人は他人との拘り合いの中で恩を受けているものである。
その過去の恩を忘れることを『不知恩』というが、
己に自信を持つことは大事でも、あまり自信過剰になると、人様の恩を忘れがちになるものだ。
その時は喜べたことでもやがては『喉元過ぎれば暑さ忘れる』が人の常とはいえ
あまりに情けない話しである。

感謝の思いを失うと謙虚さもなくなり、他人の言葉も耳に入らなくなる。
大袈裟なことをいえば、自己破壊はその瞬間からが始まる。妬んだり、謗ったりするのは容易く、
感謝の思いを持つことは難しい。
だが人としての当然の道理を忘れたところに人間としての成長もない。
親の恩から始まり、師の恩、友人、知人の恩と上げればきりがないほどの
多くの人の支えや助けがあってこそ今の自分があるはずで、
それが紛れもない事実であるなら素直に認め、
受けた恩に報いることを『報恩』ともいう。
その思いがなければ、幾ら虚勢を張ってみても、所詮は次へのステップに繋がるはずがない。
それが人間としての道理でりであり、周囲も黙ってそれを観ているのではないだろうか。


【2014/06/19 22:32】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
上手過ぎる

 ■芸事の世界では『上手すぎる』という表現をよく使う。
似たような意味の言葉に達者過ぎるもあるが、
どちらも上手過ぎてどこが悪いのか?という疑問が湧。
もちろん下手よりは上手い方がよいに決まっている。
問題は『過ぎる』ということだ。
見せ場を心得て経験と技で完璧に仕上げられた作品、
凄いの後は言葉が出ないほどの非の打ちどころの無い作品は確かに素晴らしい。
しかしあまりに上手過ぎると、何かが無くなる様な気がする。
それが何か・・・漠然としてうまく説明出来ないが、
達者過ぎると陥る落とし穴のようなものがあって、自分では恐らく気付かない。
過ぎたるは及ばざるが如しという言葉もあるように
完成の一歩手前が観ていても楽しいのではないかと勝手なことを思う。



【2014/06/12 23:38】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
作為的
■アーチストは常に創造性を持たねばならない。

その捉え方が云わば個性の違いとなる。

しかしあまり作為的になり過ぎると、

作品からの発信力が逆に弱まるようだ。

現実はそんな理想的なものではないはずだという疑問符も付いてしまう。

それを振り払えるか導くか・・・

そこに作家の力量が問われるのかもしれない。


【2014/06/02 18:08】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
ガードマンの話

■昔ブログにも書いたことがあるが、
我が家の前の表通りを、下水道の掘り起し工事をやっていた時のこと。
細い道なので車両は通工禁止、かろうじて歩行者だけは板を渡して通れるようにしてあった。
娘が先代犬を散歩させる為にその現場を通り掛かったとき、誘導ガードマンが
『ただいまワンコがそちらに通りますので、よろしく』と
トランシーバーで向う側に立つ警備員に連絡をすると、
すぐさま『ワンコ了解しました!』と返事が返ってきたというのである。

この出来事を散歩から帰ってきた娘から聞いて、
世の中にはまだまだ人間らしいいい人も居るんやと私は話した。
別にどってことない出来事だが、真っ黒ケに日焼けしたいかついガードマンが
『ワンコが通りまーす』なんと微笑ましい光景で、人柄までが伺えるようだ。
当時小学生の娘は既に母親となり一緒に散歩した先代の元気もうこの世にはいない。
しかしこの日シーンだけは今でも娘は鮮明に覚えていると云う。

tic500.jpg

子供の頃の強い印象は資質となって大人になっても残る。
時代、社会がどうであれ、親として子供には伝えたいことがある。
世に描く作品とは別に、人間として大切なものを残したい絵描きでありたいと思う。

古い昔の写真を見ながら遠い昔を思い出していた。



【2014/06/02 11:51】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
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透明水彩画のブログです。
絵を描くことは感動を見つけ出すこと。その時々に出会った想いを備志録的に綴ります。




■変なHNですがネットを飛び回るには便利な南米の鳥です(笑) 観掛けはこんな姿でも、いたって小心者です。 気まぐれな更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。

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