韻を踏む

■絵は韻文の体言止で終わりたい。

個々の部品の説明ではなく、

明確な全体像を現すことことで、逆に余韻を持たせた絵を描きたい。

作品に何等かのメッセージを込めることは当然ながら、

描き手の主観で絵を創ることがなければ、つまらないものになる。

そこで観る者を誘導する為の修辞法が必要となる。

文学の短歌、俳句の類、或は音楽のジャズ等々も

曖昧にして韻を含ませることで

イメージに広がりを持たせようとするのに似ているようだ。

競演

主なし 庭に一輪 白き薔薇

い薔薇が主役でありながら

その背景として、何故主が居ないのか・・・

この見えない部分の表現が無ければ、ただの薔薇でおわってしまう。




【2015/04/23 09:30】 コンドル流水彩画考 | トラックバック(-) | コメント(0) |
執念


■写実を追及するある洋画家(油彩)は、

卓上静物を制作するとき部屋の灯りを消して

蝋燭の火を点してその灯りだけで絵を描くという。

昔ながらの手法で実際に再現しなければ、

物の陰影がつかめないらしいが、

手元は一体どうするのか?

暗くて画面が見えず絵など描けるのか?

何等かの対策は講じているだろうけれども、

同業ながら凄いなあーと思ったことがある。

22144.jpg 

物事に拘る是非はともかくとして、

気の遠くなるような緻密な作業や、

人知を超えるような努力、

ものを表現すめ為の執念は

その道の専門家であるなら当然かもしれないが、

私はまだまだ追及する一念が弱いと反省をする。






【2015/04/21 18:20】 コンドル流水彩画考 | トラックバック(-) | コメント(0) |
苦労の跡


■一枚の絵を仕上げるには、様々な苦労がつきものである。

それは死に物狂いの格闘技に似ている。

だが絵の場合は画面にその苦労の跡を残さない工夫が必要。

苦労も楽しみのひとつという理屈は描き手だけのもので、

観る側にはそんなことなど全く関係ない。

作品としての出来栄えにしか関心がないのであ。

春の陽射し

『芸術』の芸とは。。。

よく芸人がTVの中で視聴者と一緒になって

バカ受けしてしまっている様子を目にすることがあるが

プロの芸としてあまり観ていて恰好が良くない。

それが譬え素人臭さが売りであったとしても

それでは少なくともギヤラを取る値打ちがないのでは?と

生意気乍ら私は思う。


【2015/04/11 21:33】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
ある画家達の議論




■とある所での会話

T氏>>『Fさんは描きたくないものでも、頼まれると描きますか?』

F氏>>『そんなもん絶対に描けませんわ!』

T氏>>『私は描きますけどね』

F氏>>『そんな事おかしいですよ、止めなさい!』

この二人はそれぞれに某団体の所属作家でF氏は具象、T氏は抽象。

またF氏は経済的に恵まれた環境で絵を描き、T氏は逆境の中で描いている。

そのお互いの意識の中に本音とも、理想ともつかない議論が続く。

それを横で聞いていた私は心の中では呟いていた。

『自分は二人と違い全くの無所属だ』と。

考え方には色々あっていいのだが、

現実は紛れもなく今ある自分にあって

他者との比較の上にあるのではないはずた。

だから生きる(生活の)為に絵を描いていることを恥とも思っていない。










【2015/04/06 23:55】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
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絵を描くことは感動を見つけ出すこと。その時々に出会った想いを備志録的に綴ります。




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