言葉が逃げて行く


■86歳のノンフィクション作家澤地久枝氏があるラジオ番組で

歳を取って今思うのは『言葉が最近逃げて行く』と語っていた。

若いころは原稿用紙に向かうと、次々と言葉が出てきたが

歳を取って来るとそれ出てこない。

どんどんと言葉が逃げて行くようで

時間が掛かるようになったとかて、

それが老いることだと。

思い出せないとか、動作が遅くなるとかの変化が現れる中で

作家は作家らしく

『言葉が逃げる』と実感を込めて語っていたのが印象に残った。

coffee_20161024133320bda.jpg

そこでもし絵描きの自分ならどうどうだろうか?

まだ実感が無いのでピンと来ないが、

確実にそんな時がやってくる。

そんな歳になっても冷静に自分らしく的確な表現で分析出来るだろうか。

例えば、線が泳ぎ出したとか、集中力が散漫になったとか。。。

或いは、筆洗の水を変えるのが面倒くさくて『最近水が逃げて行く』とか

『近頃は食べ物の絵ばかり描きたくなった』とか・・・

今から格好いいフレーズ考えておくべきか(^^;

念の為に付け加えますが

これは夜中の3時頃の番組で、

私はその時アトリエで制作中。

けして暇をつぶしていたのではないですから。

ちょっとコーヒーブレィクしながら、

忘れぬうちにキーボードを叩いたという次第です。









【2016/10/26 23:00】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
なんだこりゃ?
 
■何時も乗り降りする駅のホームに
突然に現れた謎の壁画(まさか)
よく見れば工事の跡の様な模様。
だいたい同じホームの位置に立つので何気なく眺めているが、
不思議なことにその日によって見え方違う。
動物に見えたり、何処かの風景や花にも見えたりもする。
雨の振った後などは、色まで加わって抽象画風にもなる。
思わずスケッチしたくなるほどで、電車の待ち時間も苦にならない。

DSC_0133.jpg

そこで私はフト思った。
同じ場所へ出掛けてもそのときによって、
見え方や感じ方が変わる。
だから絵描きは足繁く通うのかもしれない。
気候の微妙な違いで対象の景色が千変万化しても
基本的にはそこにあるものは同じではないのかと。

何かを観てどう捉えるかは受信側次第で、
ただのホームに出来た傷でも、観方次第で美しい芸術品にも見えたりもする。
では一体この違いはどこから来るものだろうか?
想像力か感性かそれとも単なる暇人、変人か(^^;
でも私は更に思うのです
もの作りの原点はこんな些細なことからでもイメージを膨らませること。
感動も好奇心が無ければ生まれない。

一度この模様を写真に収めてみたいと思っていた。
ひょっとしたら、新たな創作への発見があるかも?(^^)
それがこの画像です。
大分前に書いたものをコピペで後日UPします(^^;




【2016/10/21 23:00】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
原点


■次々と沢山の作品が描かない怠け者の絵描きですが、

それでも自分なりに少しは気に入ったものもその中にあります。

この冬の余呉湖を描いた『雪下ろし』もそのひとつ。

夜明けの冷たい空気感や静寂感が描けたかと思っています。

もう相当昔の作なので、記憶も定かではありませんが、

当時は夜遅く夜行で大阪を発ち、現地で夜朝を迎えることが多く

このときも真冬にどうしても雪が描きたくて出掛けました。

JRの余呉駅は辺りには何にもない鄙びた小さな駅で、

夏場ならともかく、冬のこの時期には訪れる人も無い。

暖房も無い駅舎で夜を明かしたあの時の寒さは

今も体感として残っています。

冬の朝


余呉湖への続く道は一本道で、薄暗い夜明けを震えながら歩くとこの景色。

丁度携帯電話が普及し始めた頃で、私もひと言

『なんとか生きてるけど、凄い景色が描けたで』と電話をした。

そしてこの景色が以来、全国の冬の絵を描くことになった

これが最初の作品だったのです。

雨の日も風の日も、寒さも暑さも顧みず

眠気や空腹にも耐えながら、たった独りで歩き続けた見知らぬ土地。

幾ら歩いても心に響く景色に出会わなかったり、

旅先で体調を崩して宿から動けなくなったこともありました。

馬鹿な絵描きはそれでも懲りずなかった。

「好きな事が仕事に出来て宜しいですね」と人様は言う。

確かに嫌いなことではないにしても、

それを続けるのは傍目でみるほど楽ではない。

怪しげな芸術家は嫌いだと豪語しながら、

自らも平凡で器用な生き方を選ぶことができなかった。

家族に甚大な迷惑を掛けて我儘を通すなんてことが

本来は許されるわけがない。

しかし30年前

余呉のこの雪原に立つ私の携帯から聞こえてきたのは

『よかったねー父ちゃん、思ひ通りの景色に出会えて』と

我が事の様に喜ぶ妻の声だった。

だからこそ無茶だと解っていても、私は後へは引き返せなかった。


これは遠い昔の個人的なひとコマですが、

たとえこの景色がすっかり変わってしまったとしても

今もこの絵を見ると、若かったあの頃に戻れるような気がします。

原点とはそんなもので、だから頑張れると思っています。





【2016/10/13 23:00】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
行儀が悪い
 
■最近ある人からこの言葉を聞いた。
そう言えば私もよく子供の頃には
『そんな事したら行儀が悪い!』と親から叱られたものだ。
その言葉には、恥ずかしいという意味も含まれていて
別に失敗をして笑われるのはどってことはない。
しかし恥を恥とも思わなくなるのはよくない。
親たちはそのことを心配したのだろう。

行儀とは人の振る舞いを指すことで、
人の振り見て我振り直せと云う言葉があるほど
自分の振りはなかなか自分では判らないものかもしれない。
なのでつい思わずやってしまう言動がある。
周囲ばかりを気にして常識に縛られ、
見栄や体裁に囚われるのが良いということではないが、
つまらぬことで自分の値打ちを下げてしまうようでは
愚の骨頂と笑われても仕方がない。
最近はその行儀という言葉すら死語になりそうだが
反対に行儀の悪さが氾濫しているような気もする。

石段根室

今どきの若者ならともかく、
社会的にも立派な人と称される大人に
礼も節度もなく我が物の顔で世間を渡ろうとする者が多い。
しかし、その世間が『あのひと行儀が悪いなあー』と
陰でこの言葉を囁かれてしまうのである。
私も他人のことを偉そうに言える立場ではないが、
せめて恥を恥とも思わない人間にだけは
なんとかなりたくないと思う。




【2016/10/06 23:00】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
日本人の色
 
■その国の国民性や自然風土によって、
色彩感覚が随分と違うものです。
各国の作家の色彩の凄さに驚かされる事がよくあります(^^;
それは当然と云えば当然のことかもしれませんが、
私は日本のこの国に生まれ育ったので、
日本の古い血が流れているのだと思います。
観て憧れはしてもどうしても華やかで目の覚めるような色が使えず、
こんな地味で曖昧な色調になってしまいます。
だから描くものを求める足が向くのも北の最果てに。

小樽銭函

山が海岸線に迫り、
その海沿いを札幌から小樽行の列車が走る函館本線。
日本海から吹き寄せる潮風で雪が顔半分にへばりつき
それが暫くは解けない停滞30分が限度の闘い。
何故そんな過酷な処へ何度も出掛けて描くのか・・・
正直自分でもよく判りません。
もしそれが単純に性分に合っているのなら、
強いて直すつもりもありません。


【波吹雪/北海道小樽銭函/590㎜×400㎜】


【2016/10/02 23:00】 コンドル流水彩画考 | トラックバック(-) | コメント(0) |
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透明水彩画のブログです。
絵を描くことは感動を見つけ出すこと。その時々に出会った想いを備志録的に綴ります。




■変なHNですがネットを飛び回るには便利な南米の鳥です(笑) 観掛けはこんな姿でも、いたって小心者です。 気まぐれな更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。

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