花の顔(はなのかんばせ)

 
■雨の降る中を傘をさして歩く・・・

そんな場面の絵をこの時季にはよく見掛ける。

雨降りの情景は(特に水彩画では靄った路面の)映り込み等が美しい。

それを軒下で雨を避けながらでも描きたくなるものだ。

しかし、雨の中を如何にも同じ道を歩いている様な目線が気になる。

恐らく写真を見ての仕事だとは思うが

写真をただ移すだけで?と素朴な疑問が湧くのである。

私の知るある絵描きさんは

夜の大阪通天閣の近くにある有名なフグ提灯を

それも雨の降る中で濡れながら黙々と描いていたとか。

それを偶然その作家が目撃をして

その姿そのものが、既に一幅の絵の様に感動したと語っていた。

時代背景も当然今とは違うので

絵描きの気質が変わるのも仕方が無いことだが。。。




雨2
また別の作家は

海外取材と称して数千枚の写真を撮り

それを元に作品作りをするという。

フイルム時代と違ってdigitalならそれも充分可能なので

天候にも左右されず、瞬時に捉えるカメラであれば

雨の降る中でもシャッターは押せる。

私は昔には無かった今風の道具類をフルに活用して

作品作りに生かそうとする事を悪いことではなく

むしろ大いに活用すべきだと思っている。

だがしかし、その結果絵描きたる本質が後退するようでは

本末転倒になってしまう。

安易な方向へとに流れようとする誘惑に負けないことが大事で

正にそれこそが「我々が終生闘い続けなければならない」相手なのである。

その結果の勝ち負けも、自分自身が一番よく判るはずなのだ。


『花の顔(かんばせ)』という言葉がある。

今では死語のようになってしまったが

ここでいう顔は単に姿形のことではなく

本来そのものが持つ特性を讃嘆する意味で使われていた。

近頃は顔を『かんばせ』と読むことも、その意味さえも失われたが

花はひとつの譬えに過ぎず

それは別に学生でも主婦でも会社員でもよいのだ。

今ある自分顔に誇りや自信が持てないでようでは

本物として精一杯にこの世界を渡っては行けない。

古臭い時代に合わない理想論だとしても

私はときどき自分自身にも問いかけるのである。

『花の顔はいま如何に?』と。





【2017/09/19 08:55】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
後ろ側
 

■自分の背中は直接には見ることが出来ない。

人の背を見て学ぶともよく言う。

名優は背中で台詞を語るとも。

何れにしても後ろ姿というのは大事なのだろうと思う。

33763_m.jpg


背中を背景と置き換えると

絵も確かに背景次第で決まってしまうことがよくある。

私の様な凡人はつい目に見えるものばかりに気を取られてしまうが

しかし、達人ともなると背景もちゃんと有るように描いている。

『有るように』とは描いてなくても存在することだ。

それを今風に言えば空気感という表現になるのだろが

自分でも想像力を働かせながら、それを表現することは難しい。

具体的には描かなくても何かが有ってこちらに語りかけてくる・・・

本当の画力とはそんな部分を指すのではないだろうか。

表に見える(描かれている)色や形はほんの一部分に過ぎず

その背後には無限に広がる世界があるはずで

それを観る者に誘えることを表現力と言う。

足元さえ見えず、何も解らないままの頃には戻れない。





【2017/09/10 23:00】 コンドル流水彩画考 | トラックバック(-) | コメント(0) |
プロとアマ
 

■絵を描く人は今も昔も多い。

それはそれでよいことだとは思うが、

プロの画家と趣味の愛好家とどこで線引きするかは難しい。

近頃は個展を開くことも昔ほど大変ではなくなり

作品に何がしかの値段を付けて販売るのも自由である。

また、自前の教室を開いて月謝を取るのも、

講師に招かれたりするのもまた然りで、

特別な資格や許可を必要とはしない。

『今日から絵描きだ!』と宣言するのも簡単である。

しかし、プロ(専門家)となれば、一事が万事厳しい世界で、

気まぐれも妥協も、或いは日常の生活に於いても

その自覚が求められ、片手間程度の軽い意識では到底務まらない。

そこには好きなことを同じ様にやっていても天地雲泥の違いがある。


反対にあれほどの実力と意識を持ちながら

何故アマチュアなのかと不思議に思う人も居る。

目立たずひっそりと純粋に描き続けられる人も凄いのである。

所詮は他人がとやかく言うべきことではないく

それがご本人のスタンスなのだ。

27-DSC04872.jpg


絵は鉛筆さえ持てると3歳児でも描ける。

しかし、それが作品となれば容易ではない。

誰かに習うことは可能でも、教えるととなると簡単ではない。

たとえ趣味の延長でプロになったとしても、

最終的に問われるのはその人の自覚である。

曖昧なこの世界で自分の立場はどうであれ、

『プロとアマとの違いはこれだ』という何かを

自分なりに持つべきではないかと思う。

もしそれすらなければ『あなたは一体何者ですか?』となる。

嫌でも抜き差しならないものが付いて回っても

一貫して揺ぎ無いもの持たねばならないのは

他のどんな分野も同じではないだろうか。

専門家であろうと、二足の草鞋を履こうと趣味に撤しようと

表現者とすればそれぞれに一切の垣根などは無い。

あるのは『純粋に撤するという精神』だけである。




【2017/09/04 23:59】 コンドル流水彩画考 | トラックバック(-) | コメント(0) |
独り言
 

■世の中には上手すぎる人が沢山いる。

凄すぎてとても人知の技とは思えな人もいる。

それは自分と比べると当然のことだ。

良い作品とは・・・

上手いとか、下手とかを突き抜けた部分にあると思う。

もし自信を持ってそう思えたら、少しは良い作品が描けるかもしれない。

それを決めるのは他人ではなく自分なのである。

IMG_2126.jpg

時には自信をなくして落ちそうになっても

落ちさえしなければ向こうに渡れる。

自信満々の様にみえる人でも内心はきっと同じで

ただそれを人前では口に出さないだけなのだ。



【2017/09/03 23:59】 コンドル流水彩画考 | トラックバック(-) | コメント(0) |
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透明水彩画のブログです。
絵を描くことは感動を見つけ出すこと。その時々に出会った想いを備志録的に綴ります。




■変なHNですがネットを飛び回るには便利な南米の鳥です(笑) 観掛けはこんな姿でも、いたって小心者です。 気まぐれな更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。

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