しかし実は踏まれることを繰り返していると、ついには地面に横向きに生えるという。
つまり一般的に言われているよりも更にしたたかというか賢くて逞しい植物なのだ。
そして横倒しになって踏まれてすり潰されることによって、今度は自ら粘りのある栄養素を
作り出して繁殖する。踏まれることで子孫を残し増やしているのである。
強くて逞しく生きることの喩えに使われる雑草だが、知れば奥が深く示唆ににとんでいる。
まさに『たかが雑草、されど雑草』である。
形振りかまわずとか、七転び八起などとよく言うが、何があっても強靭な精神を持ち続けるのは
容易なことではない。その場から逃げ出そうと思ったり、ひとりで落ち込んだりもする。
絶対絶命の苦境に立たされても、へこたれずに前に進んだ経験だけがものをいうのかもしれない。
生きた経験の積み重ねほど強いものはないと改めて思う。
今は社会の情勢が先行き不安定で誰もが元気がない。順風万般で落ち込んだ経験の少ない
者は、思わぬアクシデントに遭遇するとお手上げになる。人間力が弱ければ知恵も沸かない。
社会も個人もどんな状況になろうとも絶対に音を上げないで生き延び方を探る。
それが今年のテーマになるのかもしれない。
年明けそうそう私は飽きもせずまた北の大地へ旅立つ。
彼の地は例年になく降雪量が多いらしいので、気合も必要だが反面わくわくもする。
緑に覆われ花も咲くような、そんなのどかな風景が嫌いというわけではない(そんな絵も描く)
川のせせらぎや小鳥のさえずりを聞きながら、のんびり絵を描くのも悪くはない。
どちらかと言えば、その方が性に合っているかもしれないが
それでは絵は描けても作品が描けないのである(勝手にそう思い込んでいる)