絵描きの呟き


■以前にもどこかに書いたちょっとややこしい話です。
我々は絵に描きたいと思うものば
なんとか懸命に取り組んでものにしょうとするものです。
しかし、描いてはいけない為の努力はあまりしないものです。
何が具体的なそれに当たるのかは一概には言えませんが、  
例えば自分の本音であったとしても、口に出さない方がよい言葉があるように
幾ら自分だけの表現と雖も、やっぱり同じことがあるように思います。
そしてそれは他人から指摘されるからではなく
内なる感性というか、我慢するというか、
個人の美意識には他人が立ち入ることが出来ないので、
各自それぞれにが自分をコントロールする以外にはありません。
描かないで済ませることは、これでもかと描くよりも難しいですが・・・

そもそも美術(絵画)と称するものに悪いものなど無いはずで
それはまた上手、下手とも少し意味が違う。
技法的に巧みな表現がイコール良い絵なのか?と言えばそうでもない。
周囲の注目を浴びたいとか、他人を押し退けたいとか、
そんな心根でもし描いたとすれば、
見掛けは綺麗でもどことなく卑しさのよなものを感じます。
巧みな技術のみで描かれた作品には奥深さが読み取れません。
そんな作品を描かないですむ方法はないのでしょうか?
私にも雲を掴むようで答えが見当たりませんが
人を惹きつける魅力のある良い絵とは
案外そのような精神を優先させた作品ではないかと私なりに思います。

やっぱりうまく説明が出来ませんでしたが(^^;
結局作者の理屈を超えた潜在的な部分が
作品上には嫌でも現れるという事だけは間違いないようです。
技術を磨いて上手くなる為の努力は惜しまないのに
己の根源的なマイナスの部分に打ち勝つ努力を怠れば
結果が全く違うものになるのがなんとなく判る様な気がするのです。

菜種花 (3)

少し話がそれますか
国の行く末を論じる某国の国会議員ですら
命の底に私心(邪心)を交えたなら
その瞬間から国民の信託を受けた資格を失うのは当然の理。
それなのに平然とその立場に居座ろうする・・・
私利私欲や保身の為の画策には余念がなくても
国民に恥じない為の努力など眼中にもないでは恥ずかしい。
人は神や仏でもなく、欲も有れば過ちも犯すこともある。
だが自分に課した約束は何がなんでも果たすという気概をもし捨ててしまえば
嘘を背負った言い訳の人生になってしまうのでは。
現実は厳しくて理想通りに行かず
我先の我欲が渦巻く中では人間性すらおかしくなるのも解りますが
しかしそれでも自分は自分らしく正直に頑張ることが
最優先の大事なことではないかと、生意気ながらも思います。

そしてもし願わくば私自身も生涯にたとえ一作でも
名実共に良い作品だと言われるものを描き残したいと
ごく平凡な絵描きとして思います。
勿論、今だからこんなことが言えるのかもしれません。
確かに若い頃は寝る間も惜しんで描いてました。
それは何の為かといえば
有名になって世に出たいとのただその一心でした。
あの頃はそれでよかったのですが
今この歳になって、初めて気づくことも多々あって
そのひとつが、描かないことは描くことよりも難しいということでした。
力を入れることよりも、力を抜くことの方が精神力が要る。
そんな当たり前のことだったのです。


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【2018/03/17 23:05】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
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絵を描くことは感動を見つけ出すこと。その時々に出会った想いを備志録的に綴ります。




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