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バランス


■自分でも時々ある事だが・・・

絵を描いて物とものとの大きさが合わないこと。

描いているときは気が付かないが

描き終えて画面全体を見てみるとバランスが変で、

例えば手前の建物とその横に留めてある車の大きさとか。

動物が好きで、街中の道路を横切る猫を描き入れたところ、

牛と間違うほどの猫に見えてしまったり(*_*;

家の窓と横に止めてある車のタイヤとが同じ大きさな訳がない。

しかし、そんな簡単なことが夢中になると見えなくなる。

何もかも縮尺図面の様に、理詰めで描くことが良いとは言えず

つまらない屁理屈は要らないかもしれないが

客観的な目を常に持たなければ意外な落とし穴に落ちる。

例えば、添景(人物)がピッタリと決められる人は

他の部分も的確に見えている証拠ではないかと思う。

keju転受軽受

描きたいメインのテーマがあって

それを補う為に描き加えた何かが

いい加減であると肝心な主たるテーマが半減してしまうだろう。

気付いたときには既に遅しで、悔しい思いだけが残るものである。

『絵は見えると描ける』

反対に見えなければ幾ら頑張っても描けない。

それは技術とかの問題ではなく

もの事を冷静に観察するという別の要素でも

作画の上では最も大事な部分である。

車の運転も常に冷静さを保たなければ事故に繋がるという。

アクセルとブレーキのバランスが崩れても同じこと。

ただし、絵を描く事に我を忘れて没頭した結果

不満足な仕上がりになったとしても命までは失うことはない(^^)

我を忘れて熱中するのは良いとしても

客観的な冷静さまでも失い、全体的なバランスが壊れては

元も子もないという話である。





【2017/05/03 22:00】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
精神の引き籠り
 

■年を取ってくると

他人からの助言を素直に受け取れないということが多くなる。

こちらが何かアドバイスをしても“でも”とか“だけど”という

否定的な言葉で遮られてしまう。

誰の言葉であっても『そう言うけど』とか『でも』で遮らず

一様は謙虚に聞く気持ちを持つことが大事だと思う。

心を閉ざした守りの姿勢では、相手の言葉が入ってこない。

ハイハイとただ素直になることが良いというわけではなく

取捨選択するのは自分であって

前向きで意欲的な人ほど実年齢よりも若々しいのは

精神が開かれているから老いを感じさせないのだろうと思う。

人間を長くやっていればプライドや経験

或いは人には見せたくない弱点も色々背負うことは当然で

それでも他人の言葉を謙虚に受け入れる人は

きっと何事にも成功する人ではないだろうか。

かく言う私も思い当たることが無いわけではないが

せめて心を閉ざした『精神の引き籠り』にだけはなりたくないと思う。




【2017/04/23 22:00】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
なるほどなー


■イラストレーターの大御所といわれる長沢氏が

あるサイトの動画で興味あることを語っていたのを見つけた。

(↓)

長沢まこと



長沢まこと画



他にもエーこの人がこんな絵を
天は二物を与えるのか!と思わせる人達の

様々な作品が集められているサイトです。

http://www.art-life.ne.jp/index.php

なるほどなーと頷いたりして






【2017/04/18 23:55】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
窓とリンゴの拘り


■昔から実践の仕事で使うなら『リンゴ』

趣味を広げるなら『窓』とそれぞれに支持者が分れる。

私も専門家ではないので詳しい事は解らないが

どんな世界でも自分は絶対に○○派だと

頑固に拘る人は居るものだ。

一見馬鹿げた論争の様に見えても

当人達にすればいたって真剣なのである。


2umarsupphoto3 (2)

誰がなんと言おうとこれだけは絶対に譲れない

そんな頑固さがときには必要で

それはそのことを熟知していることの表れでもある。

仮に本人だけの勝手な理屈であり、滑稽だと思われても構わない。

たとえその都度の枝葉末節があったししても

肝心な部分だけは絶対に変えられないというものが無ければ

自分のスタイルを押し通すことは出来ない。

臨機応変、柔軟な対応と言えば聞こえがよくても

その場しのぎの誤魔化しでは

一本筋の通ったポリシーとは言えないし

絵描きで通すこと自体が生きる拘りだと私は思っている。







【2017/04/15 11:14】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
 

■最近は桜が咲いても

花びらが散るとそれがゴミだと嫌がる人が増えている。

雨が降って地面に落ちると掃除がし難いと言う。

花も咲けば散るのは当たり前で

散りゆく姿も含めて桜なのである。

寛容でなければならない時と

容認してはいけない事とがあるはずなのに

混同したり逆になっているような気がする。

四季が狂い始めると、人間の感性までが狂うのか

それとも人間が狂い始めるから、四季までおかしくなるのか。

物事が曖昧ではっきりさせられないのは

日本人の国民性の悪い部分だ言う人がいる。

しかし曖昧のどこが悪いのだろうか。

曖昧にしておくからこそ

その内を推し量る思いやりの心も生まれる。


2umars445896ef0c752.jpg


私はこの国に生まれ、この自然に囲まれて

この国の文化の中で育ってきた。

親も先祖もみな同じ様に生きてきた。

長い間に刻まれたのDNAに

日本人の血が流れていることを否定できない。

了見が狭いとか、愛国心などという問題でも

他国と比べて云々することでもない。

殊更日本人であることを意識する必要もなく

これはもう自然の事実である。

ならば己の心情のままの生き方がしたいと思う。

子供は親を選べないと言って、親があんなだったから

自分がこうなったなどと言うのはあまりに卑怯。

物事に感謝の念すら持てないのは思い上がりの姿である。

自分に素直になれないで、誰のどんな言葉が聞こえるだろうか。

生まれた自国の自然や歴史・文化を否定しながら

一体どんな絵を描き、その作品を誰が共感してくれるだろうか。


私は生まれ育ったこの国の言葉でしか喋れない。

それを恥ずかしいなどとは少しも思わないし

そんな人間にもなりたくない。




【2017/03/03 00:22】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
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Author:コンドル
透明水彩画のブログです。
絵を描くことは感動を見つけ出すこと。その時々に出会った想いを備志録的に綴ります。




■変なHNですがネットを飛び回るには便利な南米の鳥です(笑) 観掛けはこんな姿でも、いたって小心者です。 気まぐれな更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。

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