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独り言
 

■見捨ててはおけないのも武士の情けなら

観て見ぬ振りをするのもまた同じ武士の情け。

名寄駅

ネット上様々に咲く花も

所詮足場の危うい絶壁に咲いているようなもの

それをどう解釈するかは個々その都度の判断。

たかが手足の生えたような通信機からの情報に

いちいち振り回されるのも愚の骨頂。

今日はそんなことをふと思た。





【2017/07/07 23:54】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
決意の証
 

■過日ある歌舞伎俳優の奥さんが

長い闘病の末に亡くなった。

『まだ若くて小さい子供たちを残して

可哀そうにとは思われたくない』

自身のブログではそう語っていたという。


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死を見つめながらの闘病の日々は

支える家族がいるとはいえ

身心共にどれほど苦しくまた辛いものか察するにあまりある。

人生は長さではなく中味だとよく言うが

それを悟って日々遂行するのは容易ない。

死と向き合いながらも

前向きに最期まで生きようとした彼女の姿に

多くの人が勇気と希望を与えられたにがいない。

言葉では語り尽くせぬ思いも沢山あったことだろう。

大声で泣き叫びたい日もあっただろうが

まだ小さな子供達の前ではそれも出来なかったかもしれない。

闘病中に日々淡々と綴られていたブログは

そんなご本人とって決意の証だったのかもしれない。

たとえ短くても幸せな人生を送れる人がいる。

早くても笑顔で旅立つ人もいる。

健気に勇敢に最後まで生き抜いた彼女の思いは

残された家族の胸にしっかりと刻まれて受け継れていゆくだろう。

ご冥福を心からお祈りしたい。

合掌




【2017/06/24 22:00】 未分類 | トラックバック(-) | コメント(0) |
遊び心も
 

■遊び心もパワーのひとつ。

しかし、遊び過ぎは良くない。

ひとり遊びに付き合ってくれるほど世間はそう甘くない。

節度を保つことも必要かと思う。

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いくら観られてなんぼの絵描きでも

奇抜な芸や大きさで人目を引くだけなら

動物園のゴリラと変わらない。

但し私はそのコリラにもなれないが・・・。




【2017/06/18 20:07】 コンドル流水彩画考 | トラックバック(-) | コメント(0) |
面白いという意味
 

■この○○は『面白い』という言葉をよく聞くことがある。

これこは一体どういうことなのかと時々思う。

笑いたくなることか?

それとも可笑し気ということなのかな?

もちろん褒め言葉の一つには違いないが

ユニークな表現で他には無いというところまでは何とか解っても、

今一つ曖昧なまま適当に聞いたり使ったりしている。

あの人は面白い人だと言う場合も同様で、

好感が持てなければ言わないだろうし、

もしその反対なら面白く無い人ということになる。

吉本の芸人ならそれも解るが面白いと言われて、

喜ぶのも変な話しだが、こう言われて怒る人はまづ居ないだろう。


オコゼ2


考えてみればこれはとても便利な言葉で

具体的に『素晴らしい』とは言わず

どうにでも取れる言い回しは曖昧で日本語らしいともいえる。

面白いがしかし・・・後に何等かの意味が含まれると

文句なしに100%素晴らしいという意味ではなくなる。

期待は出来るがまだ改善の余地があるという含みや

中身が乏しいという意味が暗に込められている場合もある。

つまり、目を引く様な独創性があったししても

その先きが無ければならない。

もし面白いと言われても

ただ手放しで喜んでいるわけにはいかないのである。

目立つ個性を表に出そうとするピン芸人のように

一発ギャグで終わるならともかく

我々が描いた作品は後々までも残ってしまうと思えば

うかつに面白いだけではすまされないはずである。







【2017/06/17 09:50】 コンドル流水彩画考 | トラックバック(-) | コメント(0) |
空気感とは
 

■絵には幾つもの大事な要素がある。

なかでも『ものの持つ情景』は

形としての物ではなく、その場に漂う空気のことで

絵を描くことは

それを描き手が画面に自分なりの再現を試みることである。

何を見てもその解釈は人それぞれでも

如何にこの見えないものを捉えるかで力量が問われる。

あるがまま、見えたままではまづ絵にならない。

そこには何等かの『霊気』のようなものを具体化しなければならない。

それを我々は共通言語のようにして

第三者に伝えることが出来るかが表現力だと思う。

つまり自己満足の独りよがりでは共通語にはならないのである。

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例えば、料理人がもし二人いて

用意された食材が同じでも

出来上がる料理は全く別の料理になるだろう。

材料の切り方や調理器具の使い方にはさほどの違いは無い。

あるのは、その食材を使う側の感性の違いである。

更に付け加えるなら

その別々の出来上がった料理をどう食するのか

味覚に合うのか、合わないのか

云わば個々の味覚に対する感性の違いが反映するのである。


絵を描く者はあくまで送信する側であっても

ある時は受信機側になって鑑賞もする場合いもあるので

送受するアンテナが必要となる。

幾ら理屈がどうのこうのあっても

肝心のアンテナが折れていたり錆びついていては役に立たず

感性という周波数が合わないと相手の声も聞き取れない。

紙や絵の具は画材屋に買いに行けば幾らでも手に入る。

技法は習えば習得出来る。

しかし、ものを探し出そうするアンテナや

自分だけの周波数は他から与えては貰えない。

表現の為に必要な道具は独自で自覚、開発する以外にはない。

抽象的な言い回しで解り難いかもしれないが

我々の個々の根幹にあるものは避けられず

それが表出したものを指して

一般的に『空気感』というのではないかと私は解している。






【2017/06/13 10:23】 コンドル流水彩画考 | トラックバック(-) | コメント(0) |
目に余る投稿

 ■最近はスマホの発達で
動画や画像が誰でも手軽に何所からでも
UPして公開で出来るようになった。
瞬時の情報をリアルタイムで流せる便利さは有るにしても
興味本位、やらせ、犯罪紛いと
投稿者の神経を疑うもようなものも観掛けたりする。
中にはTVのワイドショー番組で
何処の誰だか判らぬネタを見つけた動画を
平然と流すとことろも多い。
観ていて微笑ましく心がホッとするものならまだしも
どうみても、楽をして拾い集めたネタばかり。
UPした輩が悪いのか
それに群がる者が悪いのか。。。
イタチごっこかもしれないが
目立って有名になりたい、楽をしてお金が欲しい
他人の心は平気で傷つけても、
自分は誰にも傷付けられたくはない等々は
矛盾と自己破壊の極みの様な気がする。
『他人の不幸は蜜の味』などと薄笑いを浮かべながら
うごめく輩が増加しているが
そんな何処の誰だか判らぬ者の情報を裏も取らずに金で買う。
金になるなら我先にとなるのは必定で
他人事のようにそんな無責任な情報を扱う側にも問題がある。
本来なら歪みを率先して正すのがマスコミのはずだ。
視聴率稼ぎだけに明け暮れて
風向きひとつで有利な方に味方する。
もし危機管理を云々するのであれば
自らの社運か首を賭けてでも
『負の要因は断固と排除する』くらいの姿勢を示すべきである。
 せめて『自分はこう思う』という凛とした姿勢を貫きたい。
少なくとも良心に恥じない生き方をしたいと思う。


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一介の絵描きにも五分の魂



【2017/06/11 20:00】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
押してもダメなら引いてみな


■歌の文句みたいですが絵の話です(^^;

絵描くとき私もそうですが、どうしても描こうとする対象を

近くに引き寄せようとしてしまいます。

例えば舞台を被りつきで観ようとするみたいに(^^;

つまり近くにあるものに力が入ってしまいがちです。

立ち位置を引くことをせず、近づくことばかり考えてしまいがちになる。

何を描いても大きく描いてしまうのはその表れかもしれません。

立ち位置を少し引いて全体を見ると

遠くのものも見えてきます。

絵画の大事な要素は幾つもありますが

中でも特に風景画で大事なことは

二次元上に三次元を再現すること。

つまり前後の奥行を如何に表現するかだと私は常に考えます。

しかしいざとなると近くばかりを見過ぎてしまい

遠くが適当になり過ぎて、距離感が思う様に出せないのです。

理屈上の肉眼では当然近くのものがよく見えて

遠くは見え難くて解り難いものです(視力にも依りますが)。

それを平面(二次元)上に引き寄せたり

押しやったりするかが難しい訳で

主題が必ずしも前に有るとは限らず

近くの色が単に濃いとも限りません。

透明水彩画が難しいと言われる所以も

そのの辺りにあるようにも思います。

デトロな灯り

卓上静物を描く場合でも同じことで

こちらを向いている部分が半分で

後の半分は反対側なので本来は見えないのですが

この半分をどう表現するかが大事で

これが上手く行けば、空間的な遠近が産まれて

前の主役はさほど苦労せず立ち上がるはなのでず。

人間の目は本能的に近くでハッキリと見えるものや

大きなものには注意を向けられても

曖昧な形や遠くにあるものは避ける働きがあります。

ほんのチョットした観方を変えるだけで

絵が見違える様に存在感を増したりするものです。

そういう意味では卓上静物画も

ひとつの風景画と言えるのでないでしょうか。




【2017/06/02 08:38】 コンドル流水彩画考 | トラックバック(-) | コメント(0) |
バランス


■自分でも時々ある事だが・・・

絵を描いて物とものとの大きさが合わないこと。

描いているときは気が付かないが

描き終えて画面全体を見てみるとバランスが変で、

例えば手前の建物とその横に留めてある車の大きさとか。

動物が好きで、街中の道路を横切る猫を描き入れたところ、

牛と間違うほどの猫に見えてしまったり(*_*;

家の窓と横に止めてある車のタイヤとが同じ大きさな訳がない。

しかし、そんな簡単なことが夢中になると見えなくなる。

何もかも縮尺図面の様に、理詰めで描くことが良いとは言えず

つまらない屁理屈は要らないかもしれないが

客観的な目を常に持たなければ意外な落とし穴に落ちる。

例えば、添景(人物)がピッタリと決められる人は

他の部分も的確に見えている証拠ではないかと思う。

keju転受軽受

描きたいメインのテーマがあって

それを補う為に描き加えた何かが

いい加減であると肝心な主たるテーマが半減してしまうだろう。

気付いたときには既に遅しで、悔しい思いだけが残るものである。

『絵は見えると描ける』

反対に見えなければ幾ら頑張っても描けない。

それは技術とかの問題ではなく

もの事を冷静に観察するという別の要素でも

作画の上では最も大事な部分である。

車の運転も常に冷静さを保たなければ事故に繋がるという。

アクセルとブレーキのバランスが崩れても同じこと。

ただし、絵を描く事に我を忘れて没頭した結果

不満足な仕上がりになったとしても命までは失うことはない(^^)

我を忘れて熱中するのは良いとしても

客観的な冷静さまでも失い、全体的なバランスが壊れては

元も子もないという話である。





【2017/05/03 22:00】 コンドル流水彩画考 | トラックバック(-) | コメント(0) |
精神の引き籠り
 

■年を取ってくると

他人からの助言を素直に受け取れないということが多くなる。

こちらが何かアドバイスをしても“でも”とか“だけど”という

否定的な言葉で遮られてしまう。

誰の言葉であっても『そう言うけど』とか『でも』で遮らず

一様は謙虚に聞く気持ちを持つことが大事だと思う。

心を閉ざした守りの姿勢では、相手の言葉が入ってこない。

ハイハイとただ素直になることが良いというわけではなく

取捨選択するのは自分であって

前向きで意欲的な人ほど実年齢よりも若々しいのは

精神が開かれているから老いを感じさせないのだろうと思う。

人間を長くやっていればプライドや経験

或いは人には見せたくない弱点も色々背負うことは当然で

それでも他人の言葉を謙虚に受け入れる人は

きっと何事にも成功する人ではないだろうか。

かく言う私も思い当たることが無いわけではないが

せめて心を閉ざした『精神の引き籠り』にだけはなりたくないと思う。




【2017/04/23 22:00】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
なるほどなー


■イラストレーターの大御所といわれる長沢氏が

あるサイトの動画で興味あることを語っていたのを見つけた。

(↓)

長沢まこと



長沢まこと画



他にもエーこの人がこんな絵を
天は二物を与えるのか!と思わせる人達の

様々な作品が集められているサイトです。

http://www.art-life.ne.jp/index.php

なるほどなーと頷いたりして






【2017/04/18 23:55】 日々の呟き(日記) | トラックバック(-) | コメント(0) |
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Author:コンドル
透明水彩画のブログです。
絵を描くことは感動を見つけ出すこと。その時々に出会った想いを備志録的に綴ります。




■変なHNですがネットを飛び回るには便利な南米の鳥です(笑) 観掛けはこんな姿でも、いたって小心者です。 気まぐれな更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。

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